研 究 者:長崎県美術館 学芸員 森 園 敦はじめに第二次世界大戦中にスペインに特命全権公使として派遣された須磨彌吉郎(1892−1970)は、主にマドリードにおいて約1760点もの一大美術コレクションを形成したことが知られている。それらは中世から同時代のものまで約500年にわたるスペイン美術作品が網羅されている。長崎県美術館ではそれを「須磨コレクション」と呼び、現在に至るまで、作品個々の研究のみならず、須磨の蒐集方法やその後の返還歴など、コレクションそのものにまつわる諸問題についても研究を進めている(注1)。蒐集方法については、いまだ全容が解明できているとは言えない状況である。特になぜそれだけの数の美術作品を個人が購入できたのかというのはこれまで不明であった。しかし研究が進むにつれて、作品購入が連合国側の情報を収集するのに一役買っていたのではないかということが少しずつ分かってきた。須磨は、表向きは外交官でありながら諜報機関「東■■機関」を中心になって組織し、各国要人と公私の区別なく交わりながら諸外国の動向に関する情報を逐一本国日本に流していた。こうした諜報活動を行うにあたり、美術作品が情報を取引する際に役立っていたのではないかと幾人かの研究者によって推測がなされている(注2)。長崎県美術館が須磨コレクションを所蔵するきっかけとなったのは、1970年に長崎県立美術博物館(長崎県美術館の前身)で開催された展覧会「スペイン美術巨匠展」(主催:長崎県、長崎開港400年記念実行委員会、テレビ長崎、読売新聞社)であった。須磨コレクションを母体としたこの展覧会は全国6箇所を巡回した大規模な展覧会であり、長崎は最後の会場であった。この展覧会終了後に須磨自身の意志によって出品作の多くが長崎県に寄贈されることに決定したのである。須磨はその約10日後に帰らぬ人となるが、長崎県ではその後も遺族より受贈と購入を重ね、現在では須磨がスペイン赴任時代に蒐集した約1760点のうち500点が同館に収蔵されている。ただしこれらの大量の作品がいつ日本に持ち込まれたのかというのは資料の乏しさゆえ、まだまだ不明な点が多い。本論の焦点となるコレクション返還にまつわる問題である。須磨コレクションをリスト化した「Catálogo de Colección Suma」には「総数― 577 ―3.2010年度助成①須磨コレクションの返還歴─スペイン時代の友人ルイス・ニエトからの書簡をもとに─
元のページ ../index.html#587