鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 578 ―1757点中、6回持返りは368点、1965年1月返還分109点、小計477点、残り1280点」と記されているので、少なくとも1965年の時点では477点の作品が日本に戻ってきているということである(注3)。しかしこの「6回持返り」というのがいつを指すのか、正確には分かっていない。須磨は戦後A級戦犯に指定されたため、急遽帰国せねばならず、いくつかの小作品は丸めて自らの荷物と一緒に持ち帰ったのであるが(注4)、ほとんどの作品はスペインに残したままとなった。正式な記録としては残っていないのであるが、約1760点のうちのおそらく三分の二近くが帰国を前に、売却や譲渡などによって処分されたと思われる(注5)。しかし一方で須磨は帰国の途に就く前の1946年1月に、主要作品319点をスペイン外務省に寄託したことが分かっている。そして319点のうち189点が、須磨が懇意にしていたルイス・ニエト・アントゥーネスに売却された。これらの大部分が現在長崎県美術館の所蔵品になっているので、戦後須磨に返却されたと思われる。また残りの130点の作品は、マドリード市内にある美術館に分配された。これらの作品はコレクションの中で最も質の高いもので、須磨は1950年代半ばから1960年代にかけて在スペイン日本大使館を通じてそれらの作品の返還交渉を行っている。結局交渉は実ることなく21点の重要作品がスペイン政府によって強制買い上げされるという須磨にとっては不本意な結果となった。そして残りの作品が正式にスペイン政府の承認を受け、須磨の元に返却されたのである。それがメモの「1965年1月返還分109点」に相当する。買い上げされた21点の作品は現在、プラド美術館、ソフィア王妃芸術センター、セラルボ美術館、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼美術館に分配されており、各館の常設展示室等で観ることができる。本論では「6回持返りは368点」について考察する。フランコ政権下のスペインから1965年までにいかにしてこれだけの数の作品を持ち帰ることができたのか、大変興味深い問題である。今回、須磨家からの新資料、及びマドリード在住のルイス・ニエトの娘たちへのヒアリングによって、作品返還について新たに分かってきた。本稿ではいくつかの資料を紹介しながらその様子を述べてみたい。須磨家新資料から判明した返還歴須磨がマドリード赴任中に最も懇意にしていたルイス・ニエトは当時のスペインにおいて高名なエンジニアであった。一方で県議会の議長を2年にわたって務めるなど、政治の舞台でも活躍していた。彼が須磨と知り合ったのは闘牛を通じてであったらしい。ルイス・ニエトの娘によると、当時闘牛場は県議会に所属していたため、彼

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