鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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三幅対の「離合山水図」を描いたという記録であろう。とりわけ、「天池石壁図」に関しては、原図の黄公望画のみならず、介石の模写(藤田美術館蔵)〔図18〕や、「天池石壁図」に倣った介石筆「那智群山図」(脇村奨学会蔵)〔図19〕も残されており、その学画過程を具体的に追える点で意義深い。また、伊孚九画に関しても、文化12年(1815)に39歳の介石が描いた「離合山水図」(田辺市立美術館蔵)から、たしかに介石が三幅対の「離合山水図」を制作したことがわかる(注14)。だが、近年、介石が実見したいくつかの中国絵画をさらに確認できた点も重要である。たとえば、張瑞図(1570~1641)筆「老松古石図」(個人蔵)〔図20〕や伊孚九筆「古木断㟁図」(個人蔵)〔図21〕は、箱書から介石旧蔵と判明し、伊孚九筆「山水図」(個人蔵)〔図22〕は箱書から、季灝筆「山水図帖」(個人蔵)〔図23〕は跋文から、介石が実見したことが明らかとなる。現段階では、これらの中国絵画を介石が忠実に模写した作例を指摘できないが、張瑞図画については介石筆「山水訓題樹石図」(個人蔵)〔図24〕、季灝画については介石筆「渓山避暑図(王蒙詩意)」(個人蔵)〔図25〕や「山水図(呉鎮詩意)」に、その影響が看取されようか(注15)。一方、介石は、模倣した中国人画家の名前を款記に明示したり、中国詩人の題詩を画中に記した作例を、きわめて多く残した点で興味深い画家である。試みに、款記中に「倣」や「擬」の文言を用いて画風に倣ったことを示した中国人画家を列挙してみると、董源、米芾(1051~1107)、趙伯駒、黄公望、呉鎮(1280~1354)、倪瓚(1301~74)、王蒙(1308~85)、王冕(1310~59)、沈周(1427~1509)、藍瑛(1585~1664)、孔衍栻などが挙がる。また、題詩を画中に引用した詩人を同様に列挙してみると、王維(701~61)、杜甫(712~70)、劉禹錫(772~842)、劉言史、林逋(967~1028)、郭煕、蘇軾(1036~1101)、黄庭堅(1045~1105)、陳与義(1091~1139)、陸游(1125~1210)、范成大(1126~93)、朱熹(1130~1200)、龐鑄、呉倫、元好問(1190~1257)、牟巘(1227~1311)、王惲(1228~1304)、鄭思肖(1241~1318)、高克恭(1248~1310)、鮮于枢(1256~1301)、鄧文原(1258~1328)、黄公望、呉鎮、倪瓚、兪和(1307~82)、薩都剌(1308?~?)、王蒙、王冕、涂頴、陶安(1315~71)、楊基(1332~?)、高啓(1336~74)、林鴻(1341?~83?)、方孝孺(1357~1402)、林誌(1378~1426)、沈周、周瑛(1430~1518)、程敏政(1445~1500)、唐寅、文徴明、徐渭(1521~93)、王世貞(1526~90)、董其昌(1555~1636)、趙迪、鄭珞、沈昭、陳継儒(1558~1639)、李日華(1565~1635)となる(注16)。これらの例を見ると、介石は、古く著名な唐などの中国文人より、むしろ元から清― 49 ―

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