2nd March 1948, Parcel No. 107 – A parcel with 800 grams special chocolate and two tubes of 2nd March 1948, Parcel No. 108 – Eight cakes of toilet soap and three pairs of socks11th March 1948, Parcel No. 640 – A tin of preserves1.重量が1キログラム未満であること。2.衣服を送る際は、既製服と古着は認められる。3.手紙の文章は全て検閲される。4.手紙はスペイン語ではなく、英語でやり取りしたい。27th Feb. 1948, Parcel No. 174 – A tin with one kilo boiled ham (sweet)27th Feb. 1948, Parcel No. 975 – A parcel with 800 grams special chocolate, a tube of ― 580 ―この手紙の中で最も興味深いのが「既製服と古着(already made and used clothes)」の箇所に、強調のためかルイス・ニエトによって下線が引かれていることである。これはおそらく麻布あるいは紙に描かれた絵画の暗号ではないだろうか。推測ではあるが、ルイス・ニエトは額から外した絵画作品を丸めるか、折りたたむか、あるいは木枠のみの状態で秘密裏に須磨に郵送していたと考えられる。娘ホアキーナによると、1946年頃に夫とともに須磨の絵画コレクションを布状にし、錫の箱に梱包してマドリードからバリャドリードの女子修道院へと避難させたそうである。後にそれらはルイス・ニエトのもとに返送されたらしいが、もしかするとこれらは錫の箱のまま小包にして日本に郵送されたのではないかとホアキーナは推測している。また手紙の文章は全て検閲されるため、郵便局において解読困難な英語が選択されたのであろう。実際にルイス・ニエトは英語に堪能だったわけではなく、英文を書く際にはドイツ人である娘婿に代筆させていたことが分かっている。当時のスペインでは英文を読める者はかなり限られていた。そこまでの手間をかけたということは、暗号を使用していたとはいえ、用心に用心を重ねることで危険を回避しようとしていたと考えられる。その後、ルイス・ニエトは多い時にはひと月に5回以上のペースで、須磨に小包を発送していたことがこれらの書簡から窺い知れる。内容物については、おおむね布製品を一つとその他にチョコレートや石鹸などの固形物が合わせて1キログラム以内で送られていた。以下その一部を紹介する。toothpaste and a pair of sockstoothpaste
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