20th March 1948, Parcel No. 1126 – A tin of sausages23rd March 1948, Parcel No. 1263 – with a can of preserves31st March 1948, Parcel No. 1635 – a packet of toilet soap and three pairs of socks20th June 1948, Parcel No. 14 – with chocolate and socks25th June 1948, Parcel No. 16 – soap cakes and socks26th June 1948, Parcel No. 17 – chocolate and three pairs and socks1st July 1948, Parcel No. 15 – One can of preserves14th July 1948, Parcel No. 18 – Chocolate15th July 1948, Parcel No. 19 – Ordinary washing soap30th July 1948, Parcel No. 20 – One can of preserves― 581 ―以上のように、1948年前半だけでも相当数の小包を須磨に送付していたことが分かる。そして布製品については、「ソックス」「アンダーシャツ」、時には「6メートルを超える織物」などと記述された。おそらくは作品の容積に合わせて記述を変えていたのであろう。チョコレートや石鹸などが本当に同封されていたかは不明だが、おそらくは偽装であったと思われる。想像を巡らせれば、絵画作品の木枠、あるいは木彫作品が封入されていた可能性もあるだろう。こうして非常に不自然に思える小包がこの時期頻繁にルイス・ニエトから須磨に郵送されていたのである。須磨が戦後自らのコレクションをもとに開いた最初の展覧会は昭和24年(1949)に学習院大学にて開催された。その後、1956年にブリヂストン美術館で「須磨彌吉郎氏蒐集スペイン将来絵画展」(1956年1月24日−2月5日)が開かれている。前者はどの作品が出品されたのか定かではないが、後者は作品リスト及び会場写真が残されており、ほぼ全ての出品作が明らかである。そこでは19世紀スペインを代表する画家マリアノ・フォルトゥーニ作とされる素描が36点、他に16世紀から20世紀までの絵画作品全85点が陳列された。これらの多くは1955年2月に当時の在スペイン日本大使であった渋澤信一が持ち帰った作品とされている(注6)。しかし一方で、ルイス・ニエトに売却されたはずの作品もリストの中に含まれている。1946年の時点でルイス・ニエトに売却された作品が、1956年の展覧会に出品されているということは、おそらくはここまで論じてきた1948年以降の小包で郵送されたものである可能性が高い。またそれらの作品は一様に簡易額に入れられているのが展覧会の会場写真から窺い知れる。郵送する際に、オリジナルの額はスペインで外され、日本で新たに額装されたと考えることができるだろう。
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