注⑴ 『よみがえる須磨コレクション スペイン美術の500年』展図録、長崎県美術館、2005年。⑵ 大髙保二郎「須磨コレクションとスペインの美術─過去、現在から未来へ」前掲書、18−25頁。川成洋「第二次世界大戦期のスペイン公使、須磨彌吉郎論─スパイマスターとして、美術コレクターとして」『スペイン語世界のことばと文化(講演録2008年度版)』京都外国語大学スペイン語学科、2009年、27−42頁。⑶ 日本に戻ってきた須磨コレクションについて、筆者が確認する限りでは、現在長崎県美術館に所蔵される作品約500点の他に、須磨家に所蔵される作品、個人に譲渡された作品を合わせると、全部で600−700点近くあると思われる。1965年以降もスペインより返還されたことが推測される。⑷ 在スペイン日本大使館の須磨のもとで働いていた林屋永吉氏によると、須磨は当時ゴヤの作品とされていた素描を中心に、いくつかの大事な作品を丸めて自らの旅行鞄に入れて持ち帰ったそうである。⑸ ルイス・ニエトの娘によると、須磨が勤務していた在スペイン日本大使館で晩餐会が行われると、出席者は受付に平積みにされた小型の絵画作品を持ち帰っていたそうである。この中にはおそらく須磨コレクションも含まれていたと思われ、須磨は惜しげもなく自らのコレクションを出席者に贈呈していたようである。⑹ 德山光「須磨コレクションについて」注⑴前掲書、273−276頁。⑺ 須磨弥吉郎「中国とスペイン」『現代の眼』No.75、1961年2月、6−7頁。⑻ 拙論「現在所在の確認ができる旧須磨コレクション」注⑴前掲書、279−283頁。拙論「長崎県美術館の所蔵する須磨コレクション」『スペイン語世界のことばと文化(講演録2008年度版)』京都外国語大学スペイン語学科、2009年、43−57頁。拙論「須磨コレクションについて」『日本・スペイン交流史』坂東省次・川成洋編、れんが書房新社、2010年、190−207頁。以上の3著において、筆者は1960年代に入って返還交渉が行われたと述べたが、その時点では参考資料が1960年代以降のものに限られていたため、間違った情報となっている。現段階で入手した最も古い返還交渉資料は1954年のものがあるので、本稿では最新情報として、交渉の始まりを1954年とした。― 583 ―から考えると、話題はコレクションについてであったに違いない。こうして考えると、須磨の後半生において自らのコレクション返還という問題がどれだけ大きな存在であったかということが分かるだろう。須磨コレクション返還の歴史を調査するということは、須磨がいかに自らのコレクションに愛着を抱いていたかを知ることであり、そしてそれは須磨の生きた証を明らかにすることへつながると私は信じている。謝辞本稿の執筆にあたりまして、須磨家の藪亀耿一郎氏、須磨章氏、そしてご家族の皆様から貴重な資料を提供して頂くのみならず、多大なるご配慮を頂きました。またマ
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