鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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術上の革新ばかりでなく新しい美学だったことを論じた。技術上の革新について強調されたのは、印象派の画家たちが開発したとされる新しい近代的な色彩や斬新な素材の多くが、彼らが登場する1870年代以前にすでに出回っていたことである。他方、新しい美学に関して、暗い色調の絵画から近代的な明るい絵具を用いた制作への美学面での移行は、第二帝政期末の1860年代における文化的変化によるものとされた。決定的だったのは、風景に包まれながらモティーフを前にして油彩制作をする戸外制作の人気の高まりである。風景画制作というより広い文脈で捉えるなら、近代化された都市や近代的都市生活の影響で、それ自体が新しい「風景」であるような「都市の光景」が出現し、それに伴って、光と色からなる近代的絵画が誕生したとみなすことができる。戸外での油彩制作の起源は、これまで考えられていたよりも、はるか以前にまでさかのぼることができるが、19世紀フランスのバルビゾン派や印象派にいたる戸外制作の系譜の端緒は、フランスの風景画家ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ(1750-1819)の遺産、特に戸外での油彩画制作に対する彼の技術的、美学的革新にあった。 パリのエコール・デ・ボザールで遠近法の教授だったヴァランシエンヌは、1816年に、歴史風景画というローマ賞の区分を設け、風景画制作の訓練と実践の中心に戸外制作を据えた。こうして、戸外での油彩制作は風景画の画学生にとっては必須のものとなり、すべての職業画家にとって標準的な実践方法となった。彼の提唱で規範的方法となった戸外制作は、1820年代にはすでに当たり前で、鉄道敷設によって旅行が容易になった1840年代には、ありふれたものとなっていた。1850年代までの成長ぶりは、作画マニュアルや、戸外制作中の画家のイメージによって証言される。早い時期から戸外制作が行われていた証拠が豊富にあるにも関わらず、印象主義の到来は、絵具チューブなどの「近代的」素材の導入によるという一般の思い込みが今も続いている。しかしながら技法史的考察がほとんどないため、ここでは、戸外制作中の画家のイメージや画商のカタログなどを通して、主要な装備に目を向けてみる。旅好きの画家たちは、風景画家のナップザックに、パラソルと共に吊るすことができるくらいに小さく折り畳める三脚イーゼルを用いた。イーゼルと椅子と絵具箱が一体となった絵具箱イーゼルは、19世紀の中頃から生産されていた。ブリキのチューブが最初に生産されたのは、1840年のロンドンである。しかしながら、近代的絵具チューブは1860年までは一般的ではなく、フランスの風景画家たちにとっては値段的に見合うものではなかった。彼らは、それまで通り、絵具を豚の膀胱に入れて、戸外に運― 594 ―

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