鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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んだ。モネの《アトリエの一隅》(c. 1861)からは、描かれたキャンバスやパレットから戸外制作を行う風景画家のマニフェストのようなものを読み取ることができる。アンファンタンの《フォンテーヌブローの森で絵を描く芸術家》(c. 1825)も、風景画家の服装や装備について、はっきりとしたイメージを示している。これらに描かれた紙という支持体に着目するなら、その形やサイズが、絵画の「生成的」段階に適していたばかりでなく、構図の選択でも決定的な役割を果たしたことがわかる。芸術家は描き始める前に、支持体の形態、サイズ、表面の肌理、下塗りの方法を選択し、複雑に組み合わせることで、必然的に結果する全体のプロセスを計算していたのである。 戸外での油彩風景画制作は、自然科学や、自然の正確な観察に対する、都市住民の啓蒙的関心と結びついて登場した。18世紀を通して成長した近代的主観主義において、個々の感覚性や個人的感受性や感情が新しい重要性をもつようになり、また、純粋な戸外制作は、きわめて個人的で直接的な芸術形式だからである。しかしながら、芸術研究としての風景研究が、ただちに広く人々に認められたわけではなかったことは、1870年代にみられた印象派に対する敵意が証言している。ただし画家たちは、どんな妨げがあってもくじけない情熱をもって戸外での絵画制作をおこない、それが19世紀を通して次第に正当なものとして認められるようになったのである。2.シンポジウムにおけるパトリック・フローレス氏の発言内容 ─『フィリピンのコロニアル絵画における改宗の諸側面』─フローレス氏は、フィリピンのコロニアル文化や歴史において西洋様式の絵画が登場した過程に着目し、見知らぬ現実に目を向けさせるだけではなく、信仰を促す儀式の条件を形作り、人々に語りかけるようになるイメージの役割を、《十字架の道行》(1835)と《現地酒バシをめぐる反乱》(1821)をとりあげながら、異なるレベルの改宗に関連付けて論じた。《十字架の道行》で描かれているようなキリスト受難の主題を改宗の物語とみなすことができるのは、コロニアル絵画が、カトリック教化のための問答式教材として用19世紀にはアマチュア向け市場が急成長していて、絵具商人は、室内用や旅行用として完全に中身入りの絵具箱を販売した。これは、アマチュア画家が実践的な知識をもつ必要がほとんどなかったことを意味する。1840年の絵具箱の宣伝文によれば、戸外での携帯利便性ではなく、清潔さや無臭性が強調され、アマチュア女性画家による室内での使用に適していることが売りだったことがわかる。― 595 ―

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