鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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○使用言語 フランス語、英語藤田についての発表概要主催者・企画者による趣旨説明のあとを受け、そこでのヨーロッパでの絵はがきの歴史の概説に補足して、日本の場合を発表の背景としてまず手短に紹介した。ヨーロッパでは19世紀後半から絵はがきの生産と流通が始まっていたが、日本では1900年に私製はがきが認められて以降、つまり極めて20世紀的なメディアであることを強調した。まず「舶来品」が郵送・輸入された後、その影響下に国内での制作がはじまったのである。日本での国産の始まりは、「1903年の第5回内国勧業博覧会」と「1905年の日露戦争の戦勝記念」である。なかでも前者は1900年のパリ万博の影響を強く受けており、ここでヨーロッパスタイルの絵はがきが登場、普及した。印刷技術の進展や、水彩画のブームなどもあり、明治後半に、市販と自作両方の「絵はがきブーム」がおこったのである。ほかの発表について初日の発表は基本的に、絵はがきの本来の機能─イメージを伴ったはがきとして郵送されるメディア─を使った作家についての発表が多かった。印象深かったのは、多くが本シンポジウムのために各研究者が作家のアーカイヴをあらたに調査した発表内容で、初公開の資料、新知見が目立った(モネ、マティス、藤田ほか)。現存するものの多くは家族にあてられたプライベートなものだが、それゆえに作家の、愛情こもった文面や図柄の選択がみられた。当然、旅先から送られているので、モネの1886年生まれの藤田はまさにこの日本での絵はがき黎明期を少年期に目の当たりにし、学生時代にはアール・ヌーヴォー風の水彩をはがきに描いていたが、本格的にこのメディアと向き合ったのは、1913年にパリに渡って以降である。1913年から16年の間、日本に残した妻あてに送った約180通の手紙が現存する。約80通のフランスの絵はがきが含まれる。大半が市販で、美術館の収蔵品と、風景の写真、そしてイラストレーションである。とくに、第一次世界大戦勃発以降のものは、戦時下の諷刺画的なものや戦跡のイメージなど、戦争の進行や市民生活を証言する。そのイメージと書面の連動について発表し、欧州で百周年行事が続く第一次世界大戦についての、異邦人による稀少な在外視覚・文字史料であることと、これまで空白期とされてきた1910年代、パリ初期の藤田の動きをつかむ貴重なドキュメントであることを述べた。― 601 ―

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