鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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■Miriam CHUSID“Constructing the Human Realm: Image of the Sufferings in the Shojuraigoji Six Paths Scrolls”邦題「人道の構造─聖衆来迎寺六道絵の四苦図像について─」ば、軸装本や文化庁本には見られた両脇侍の台座を、本図では描かず、阿弥陀のみが台座に坐すかたちをとる。このほか、阿弥陀のみが頭光と身光の両方を具備する点も独自である。また、軸装本や文化庁本では両脇侍の頭上に宝蓋を描くが、本図にはこれがなく、阿弥陀にのみ天蓋がかかっている。かように荘厳の対象を三尊のなかでも特に阿弥陀に絞っているのであり、観者の眼から見れば、画面のなかで阿弥陀が最も強く映じることとなる。本図が制作された時期における智光曼荼羅の流布の状況についていえば、諸記録から、智光の感得譚とともに曼荼羅の存在が知られていたと確認できる。曼荼羅にまつわる智光の感得譚の当否はさておき、このことと、以上に析出した諸点を勘案するならば、本図は、智光が感得したという浄土世界に観者が没入し、智光が目にしたのと同じ阿弥陀を礼拝するという願望あるいは体験を契機として制作された、過去の高僧に対する仰尊ないし思慕を根底に有する造形ではないかと推察される。中世日本における四苦図像は、八世紀に日本に伝来され、日本中世までに沢山の変形がなされてきたモチーフである。四苦とは、生老病死とも言い、生まれること、老いること、病気になること、死ぬことである。つまり、本モチーフは、皆人間として経験する四つの苦しみで構成されている。諸々の仏教絵画に描かれ、十五幅の聖衆来迎寺六道絵の中でも一幅として大きく描かれている。本発表では、聖衆来迎寺六道絵四苦幅の図像の起源と機能を探った。従来の研究では、聖衆来迎寺六道絵は、源信著『往生要集』(985年)に基づいている作品であると論じられている。その根拠は、ほとんどの幅の色紙形に、『往生要集』からの引用が書かれているからである。『往生要集』は、地獄をはじめ、六道の様子を詳しく記すものであり、六道の中の存在は、すべて苦しいことであると『往生要集』が語っている。四苦は、六道のひとつである人道の一部分であり、四苦は人道として聖衆来迎寺六道絵に含まれるもので、『往生要集』に基づいているとの論は、その点においては、間違いではない。しかしながら、『往生要集』の人道章と本幅の図像を細密に比較してみれば、一致しない部分のほうが多い。このことは、本幅の図像が、かならずしも『往生要集』のみに基づいているわけではないことを示している。― 605 ―

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