鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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日常生活に不可欠なマチエールでありながら、当時、最も手に入りやすく低廉な材料だったと言える。この初期の時代の影響は、その後の作品にも随所にみられる。出光美術館蔵「蹴鞠布袋図」や「宗祇像」などにみる松花堂昭乗の様式については、すでに山根有三氏や中部義隆氏などが指摘している。このような墨を基本にした初期作品の技術が、後の絵画にも強く感じられる。本発表では第一に、「蹴鞠布袋図」と「宗祇像」に見られる初期の墨絵的な筆遣いや色合いなどの表現が、20年後の銹絵にも確認できることを指摘しつつ、個人蔵「銹絵寒山拾得図角皿」や大倉集古館蔵「銹絵寿老人図六角皿」などのような陶芸品に、酸化鉄という異なる材料を絵画的な墨絵技術で用いたことで、光琳と乾山が墨の伝統的なマチェール範囲を越えたのではないかと提議する。第二に、発表者は、乾山の「陶工必用」などの資料で銹絵が一般的に黒絵と呼ばれ、当時の色彩感覚で黒=墨としていたことに着目し、乾山は黒絵に最もふさわしい表面色が白だと定義していることに興味を抱いた。白黒が紙本に墨絵、あるいは紙本の書や白錦に墨絵など、江戸初期のファッションにも見られる色合いであると示しながら、光琳たちがどのように墨の概念を広め、江戸時代の美的・材質的感覚を研ぎ澄ましていったのかを本発表で論じた。以上が3名の発表要旨である。12・13日ともに、セッション終了後には、ディスカッサント4名Claire-Akiko Brisset: Université Paris Diderots-Paris7、寺田澄江:INALCO、Estelle Leggeri-Bauer: INALCO、Melanie Trede: University of Heidelbergと発表者、さらには事前に参加者として登録した欧州の研究者や大学院生全員が参加し、ディスカッションが行われた。援助を受けた成原と同行の2名についていえば、ディカッションのなかでそれぞれ、発表内容をさらに展開させる手がかりを得た。その概要を記すならば、成原発表の「阿弥陀三尊像」の場合は、宗教儀礼や空間との関わりを視野に入れた解釈の可能性が、CHUSID発表の聖衆来迎寺本に関しては、同時代の六道絵および説話画中の四苦図像との差異やその意味が、FELTENZ発表の光琳の銹絵に対しては、モノクロームであることと絵の意味との関わりが、それぞれ議論の中心となった。いずれも、各自の今後の研究の進展につながる貴重な討議であった。なお、ワークショップに先立つ3月10日にはオランダのライデン国立民族学博物館において特別観覧があり、河鍋曉斎筆幽霊画および同西洋風俗図等6点、国芳下絵を調査させて頂いた。ワークショップ後の3月14日にはベルリン国立東洋美術館にて、「源氏物語図屏風」(澪標、六曲一双)、「源氏白描色紙」(二枚)、「伊勢歌色紙帖」、「源― 607 ―

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