鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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⒅ 蔵田周忠「『ドイツ建築博』一巡記」『国際建築』独逸建築博覧会号、7巻7号、1931年7月、⒆ 1928年にバウハウスを離れたグロピウスとモホイ=ナジ、バイヤー、ブロイヤーは、1930年にパリで開催された「装飾芸術家協会展」のドイツ部門で大規模な展示デザインを発表し、脚光を浴びた。この直後に同メンバーが手がけたドイツ建築博での展示は、前年の事例とともに展示デザインの記念碑的作品とされている。バウハウスと展示デザインの関係について、詳しくは次を参照。Ute Brüning, Das A und O des Bauhauses Bauhauswerbung: Schriftbilder, Drucksachen, Ausstellungsdesign, Leipzig: Ed. Leipzig, 1995.5頁。⒇ 「楽な気持で博覧会見物記を書く。抑へて置かないと直ぐ飛び上つてくる争闘意識を、無理に押し静め、暫らく、第三者の公平な立場で、第二会場を観よう。」山脇巖「現代の住宅(第二会場所見及び批判)」『国際建築』7巻7号、前掲注⒅、12頁。■ 蔵田周忠「新建築材料部─独逸建築博一巡記」『国際建築』7巻7号、同上、20頁。■ 『発明博覧会報告 第四回』第四回発明博覧会、1932年。「(図版)第四回発明博覧会特設エヂ■ 「(博覧会)内部の陳列も、もう旗、さしもので騒がしくしないで、陳列品そのものを以て装飾的効果に配列し、最小限に必要な背景だけを添える方針をとるべき時代になつてゐるのではなからうか、といふアジテーシヨンをしたい心組は持つてゐたのである」「同人後記」『国際建築』8巻5号、同上、249頁。■ 『建築雑誌』46巻559号、1932年7月、1−115頁。■ 「欧州新建築展」『東京朝日新聞』1933年3月31日朝刊7面。■ 板垣鷹穂ほか「展覧会を語る」『新建築』9巻8号、1933年8月、167頁。■ 原弘が初めて展示デザインを手がけた野島康三の写真展「写真・女の顔20点」(銀座紀伊國屋ギャラリー)について、詳しくは次を参照。川畑直道『原弘と「僕達の新活版術」』トランスアート、2002年、102−109頁。■ 山本佐恵『戦時下の万博と「日本」の表象』森話社、2012年。■ 例えば展示デザインの記念碑的な行事として1929年にシュトゥットガルトで開催された「映画と写真(Film und Foto)」展があり、同展の写真部門は1931年に日本へ巡回した。しかし、東京と大阪の展示はいずれも展示デザインとは縁遠いもので、その理由として巡回を実現した岡田桑三がシュトゥットガルトの展示を実見していなかったことがある。詳しくは次を参照されたい。拙稿「1930年代初頭における展示デザイン─ドイツ工作連盟主催「映画と写真」展の日本巡回を中心として─」『美学』63巻2号、美学会、2012年12月、73−84頁。Fremdenverkehr-Amt der Stadt Berlin, Berlin: Bauwelt-Verlag/ Ullsteinhaus, 1931, Deutsche Bauausstellung Berlin 9. Mai- 2. August Programm, Berlin, 1931.― 62 ―ソン館・上野不忍池:蔵田周忠氏設計」『国際建築』8巻5号、1932年5月、106−109頁。

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