鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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研 究 者:実践女子学園香雪記念資料館 学芸員実践女子大学 文学部 博物館学課程 助教  太 田 佳 鈴はじめに池田孤邨(1801−66)は、江戸琳派において鈴木其一(1796−1858)と並ぶ酒井抱一(1761−1829)の高弟でありながら、これまで主として扱った展覧会は少なく、先行研究も作品解説が中心で、作品・伝記の両面から複合的に、かつ網羅する研究は殆どされていない画家である。孤邨は「四季草花流水図屏風」(細見美術館蔵)の落款に「法橋光琳 孤村白恨居士三信畫之」と書いたり、晩年には抱一の『光琳百図』に倣って『光琳新撰百図』を刊行、さらには抱一を顕彰する『抱一上人真蹟鏡』を刊行したりと、光琳や抱一を通した琳派顕彰とその継承を自覚的に行っている。江戸から明治へと社会が変化している中で、孤邨が思慕し、継承した「琳派」とはどういうものだったのか。「琳派」をとりまく言葉や概念、価値観の変遷はこれまでにも数多く指摘されてきたが、「琳派」に対する孤邨の意識的な顕彰とその画業活動は、彼の琳派観を表すと同時に、「琳派」の受容の在り方の一つを示すものである。また、当時の琳派観や「琳派」の受容の問題は一つの流派の問題に終始するだけではない。孤邨をはじめ、幕末から近代の「琳派」について解き明かしていくことは、流派や時代の枠をこえて幅広く展開していくものだと考えている。そこで本稿では、改めて伝記史料を整理するとともに新たな資料を紹介し、孤邨の伝記や画業、そして画風展開を明確にする基礎的な研究とする。また「藤図屏風」(福岡市美術館蔵)の描写について、他作品や実物と比較し、その特徴を明らかにしたい。なお、孤邨の表記だが、作品の落款や資料において「孤邨」、「孤村」の両方が使用される。一双の屏風の左右隻で使い分けるなど同時期の使用があり、使い分けの規則性が明確でないため、今回は一般的な「孤邨」を使用した。1.先行研究伝記に関しては、河合正朝氏による「池田孤邨筆 檜図屏風」(『國華』第1286号、2002年)に詳しいが、未だ不明な部分も多い。これまでに『國華』誌上で「小督図」、「かきつばた・八橋図屏風」、「檜図屏風」、「百合図屏風」、「青楓朱楓図屏風」、「隅田川遠望図」の6点が紹介されている。また、孤邨の作品を多く掲載したものとして、― 66 ―⑦池田孤邨研究─幕末から明治における江戸琳派の展開の一例として─

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