鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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⑧ポール・ゴーギャン《木靴職人》について研 究 者:愛知県美術館 学芸員  森《木靴職人》と《海岸の岩》はじめにポスト印象派の画家として、19世紀フランスを代表する画家ポール・ゴーギャンは、ブルターニュ地方の民族的慣習が色濃く残る未開発の地ポン=タヴェンを発見すると、1886、88、89年に3度滞在する。それまではピサロ風の風景画や写実主義的な裸婦を描いていたが、次第に、印象派の自然主義に批判的になり、内面や神秘、観念や思想を表現する象徴主義の傾向を強め、ブルターニュの地で、《説教の後の幻影─天使とヤコブの闘い》を代表する、輪郭線と明確な形態を強調し、平坦な色面を装飾的に構成する総合主義様式を確立した。ポン=タヴェンに滞在し制作活動を行うゴーギャンの周囲には、やがて彼を慕う若い画家たちが集まり、「ポン=タヴェン派」が形成される。《木靴職人》とそのカンヴァスの反対側には、印象派風の筆致で海岸風景をとらえた《海岸の岩》という作品が描かれている。ゴーギャンがこのように一枚のカンヴァスの両面に作品を描いたのは、当時カンヴァスや絵具といった画材の調達に金銭的に苦労していたことが原因である。ゴッホは弟のテオ宛の手紙のなかで次のように書いている。「ベルナールは、ゴーギャンが金のために、できることもやむなくできず、絵具とかカンヴァスなどに困っているのをあまりに度々見るのが辛い、と言っている。」(注1)この作品以外にも、同時期の作品のうち《海の前の花束/マドレーヌ・ベルナールの肖像》と《アヴェン川もしくはブランシュ川岸のブルターニュの少年/2012年6月に愛知県美術館に収蔵された《木靴職人》〔図1〕とそのカンヴァスの反対側に描かれた《海岸の岩》〔図2〕は、このポン=タヴェンで制作された作品である。これらの作品は、従来のゴーギャン研究でほとんど取り上げられなかったため、ここでは作品の概要を整理することからはじめたい。さらに特に《木靴職人》では、背景が鮮やかな青や緑色の点描で画面が覆われ、空間があいまいなものにされているが、その下に何かが描かれているように見える。この青い点描の下に描かれていたものを明らかにするために、愛知県美術館では2013年5月に赤外線やX線などの撮影による光学調査が行われた。その結果をもとに、背景が塗りつぶされた意味を、木靴とそれを作る木靴職人という主題から考察したい。― 78 ― 美 樹

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