鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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しいもの、原始的なものがある。私の木靴が花崗岩の大地に音を立てるとき、私は、絵画のなかに捜し求めている鈍い、こもった、力強いひびきをきく。」(注5)この言葉から、木靴はゴーギャンにとってブルターニュを象徴するモティーフであったと考えられ、この作品にも大きく描かれている。作品の主題である木靴職人は、作品の左端に寄せられ、身体の一部はカンヴァスの端で断ち切られているようであり、作品の構図を不安定なものにしている。このように作品の最も重要なモティーフを画面の端に据えたり、カンヴァスの端で断ち切るような大胆な構図は、《ポン=タヴェンの冬の終わり、ブルターニュの男と牛》(1888年)のように、同時期のゴーギャンの作品には多くみられる。木靴職人の代わりに画面中央近くに大きく描かれているのは、カンヴァスを上下に走る木の幹である。この木の幹は、《木靴職人》に関連するデッサン〔図4〕から判断すると、仕事場を区切る柱のようだ。ゴーギャンはこの油彩画を描くために、デッサンから主に左半分を部分的に取り上げている。このデッサンには柱や仕事台の後ろに「feu」という書き込みがあり、たき火の存在が示され、この仕事場の空間は簡略ながらも奥行きを示しているが、油彩画のほうの空間構成はあいまいで、木の幹も人物も仕事台も同じ平面上にあるように見える。特に、仕事台の脚と職人の足は重なるように描かれており、その両者が同化しているような部分もある。カンヴァスの両面に描かれたこれら2作品は、ゴーギャンとポン=タヴェン派の画家たちの活動を知る上で重要なだけでなく、《説教の後の幻影─天使とヤコブの闘い》が完成した同年に制作されたことから、「総合主義」の確立という美術史上の出来事との関連においても重要である。ゴーギャンの総合主義とほぼ類似した表現スタイルをすでに確立していたエミール・ベルナールは、上述したシャマイヤールの言葉にあるように、1888年の夏ポン=タヴェンでゴーギャンやその仲間と合流し、ともに制作を行い、互いに刺激を受けあう。ゴーギャンはベルナールと過ごす過程で、総合主義の傾向を強め、その記念碑的な作品を9月についに完成させたのである。またこれら2作品は、ほぼ同じ時期に描かれたにもかかわらず、その表現スタイルはずいぶん異なる。《海岸の岩》には印象派の傾向が濃く残っており、《木靴職人》には総合主義様式の兆しが認められる。両面の作品を通して、ゴーギャンが印象派の手法から脱却し、「総合主義」という新たな様式を確立する直前のスタイルの変遷を辿ることができ、その意味ではゴーギャンの作品の中でも特に希少性が高い。また総合主義をなおも模索している状態を示していることから、ベルナールがポン=タヴェンに到着する8月以前に描かれたと考えられている(注6)。― 80 ―

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