鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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《木靴職人》の光学調査《木靴職人》はゴーギャンが印象派の自然描写から総合主義という新たな様式へ向かう過渡的段階の重要な作例であるが、この作品に関する従来の研究は十分とはいえず、また作品自体が未完成とみなされる場合もある(注7)。その理由の一つは、荒い筆致で覆われた画面が一見粗野な印象を与えることにあるように思われる。上述したように、ゴーギャンはこの作品を描くために木靴職人の仕事場をデッサンし、その一部をタブローに取り入れているが、最終的には仕事場の空間より木靴職人をクローズアップして描いている。さらに木靴職人の背景に何かを描いた後に、青や緑の荒い筆致で塗りつぶした形跡が認められる。このことから、最初の構想から現在の画面が作り上げられる過程において何らかの変更がなされたようである。構図を熟考し変更を重ねながら作品に取り組むゴーギャンの制作態度は真摯なものであり、この作品を未完成と結論づけるより、どのような変更を経て現在の画面が出来上がったかを考察することこそ、ゴーギャンの制作を解明する上で意義があると思われる。そのため、まずはデッサンから現在の画面への変更点を詳細に検討することが重要である。愛知県美術館では、2013年5月に元興寺文化財研究所によってこの《木靴職人》の光学調査が行われた。可視光撮影、赤外線撮影、蛍光撮影、紫外線撮影、X線撮影の4種の撮影を行ったが、この作品はもともと絵具層が薄いため、赤外線撮影以外で有益な結果を得ることはできなかった。赤外線撮影は以下の条件下で行われた。・カメラ:株式会社ニコン D300 IDAS改造・レンズ:株式会社ニコン Ai AF Micro Nikkor 105mm F2.8D・フィルター:富士フィルム株式会社 IRフィルター76・光源:コメット株式会社 CBb-24x、CB-25H・撮影条件:ISO200, f16, 1/60赤外線で撮影された写真が〔図5〕であり、その画像の明るさとコントラストを上げた画像が〔図6〕である。これらを観察すると、木靴職人の右側、そして木の幹や作業台の右の後ろ足と重なるように、画面下部から木靴職人の頭部の高さあたりまでに何かが描かれていた痕跡が認められる。これは現在の画面上にはほとんど見られないものであり、また準備素描にも描かれていない。これが何を表すのかは、やはり絵具層が薄く赤外線で撮影された写真から判断することはできなかった。しかし、ここで明らかになったのは、木靴職人の右側には明らかに何かが描かれて― 81 ―

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