た後にカンヴァス上で風景と組み合わせている。つまりこの人物像と風景は、ゴーギャンの構想の中で一つにまとめられたもので、その制作の根底にゴーギャンの木靴への強い意識が働いているように思われる。ほかにも《ポンタヴェンの冬の終わり、ブルターニュの少年と牛》では、座って木靴をはこうとする少年が描かれている。このように、ブルターニュを象徴する木靴のモティーフは《木靴職人》以前の作品において、意識的にその存在が強調されるように描かれていた。そして風景の中の一部として描かれた人物描写ではなく、「木靴職人」というまさに木靴に関わるモティーフそのものを真正面から取り組んだこの作品において、最初にカンヴァスに描かれた構図が後に変更されたのは、木靴そしてその素材や制作を示す重要なモティーフを際立たせるためであったのだろう。この《木靴職人》が制作されたのは、2度目のブルターニュ滞在となる1888年の前期にあたる1月から8月の間で、この時期に制作された作品群を見ると、多くが風景画であり、その風景の中に畑や川で仕事をする人物が描かれるか、もしくは先ほど例を挙げた《冬のポンタヴェン、ブルターニュの少年と木を集める女》や《ポンタヴェンの冬の終わり、ブルターニュの少年と牛》のように、風景とそれとは別に研究された人物像を組み合わせた作品群の2種類に大きくは区別され、人物をクローズアップし描いた作品はほとんどない。ところが、この《木靴職人》の制作頃から、ブルターニュの自然よりも、そこで生活する人々が描かれるようになり、その代表的な作品が《格闘する少年たち》〔図9〕である。この変化は、ブルターニュの数か月の滞在を経て次第にこの土地に慣れてくると、ゴーギャンにとってこの野性的な地は他者としての憧れから、自身の「野生人」としての本質と相まって親しみを感じる場所になったことに起因するという指摘がある(注8)。そしてこの地に住む人々を描くことで、そこに自己を同化させようとする傾向が認められるのである。このブルターニュの地に自己のアイデンティティを見出すことは、ゴーギャン自身も自覚的であったようで、彼は1888年にブルターニュへ発つ前に妻のメットに次のように書いている。「…前にもいたブルターニュで、7、8か月のあいだ、その土地や人々の特長を学び取ろうと思うが、これは、良い絵を描くために重要なことである…。思い出してほしいが、僕の中には二人の人間がいる。インディアンと繊細な人間だ、繊細な人間がいなくなったおかげで、インディアンが堂々と歩いていく」(注9)。以上のことから、ブルターニュの土地と自己とを同化させ、そこに見出した自らのアイデンティティを作品において顕在化させたのが《木靴職人》ではないかと考えられる。木靴を制作する職人と、絵画を制作する画家である自身を重ね合わせ、「私の― 83 ―
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