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― 91 ―年の研究成果はその点で参考になる。例えば2001年に「奔る女たち─女性画家の戦前・戦後 1930-1950年代」を企画した小勝禮子氏は美術史の中で忘却されてきた女性美術家たちの足跡を丹念に掘り起こし、彼女たちを取り巻くジェンダー不均衡の実態を明らかにした。また戦後、女流画家協会にとどまった画家たちの活動については、戦後美術史の評価軸が従来の団体展から離れて、画廊での個展や美術館の企画展、国際展へと移行したために、光をあてられなくなったとする(注15)。作家の評価基準の変化に関しては、女性に限らず男性も含めて、戦後美術が戦前と切り離されて語られる大きな要因となっていると思われる。前衛的な傾向を偏重する戦後美術史が、戦前との断絶を殊更に強調してしまうとするならば、保守的な動向も含めた総合的な視点からこの時代の美術を捉える必要があるだろう。それには、大規模な展覧会に度々登場するようないわゆる主流の作家だけではなく、あまり光があてられてこなかった「非主流」の作家にも目を配ることが重要なのではないだろうか。3-2.女性美術家たちの活動1940年代に活躍した女性美術家に長谷川春子がいる。25歳のときに画家を志し、日本画を鏑木清方に、洋画を梅原龍三郎に学んだ長谷川は、当時の女性としては珍しく単身パリに留学し、帰国後は国画会や女性画家団体である朱葉会などに出品した。戦時下の活動において最も特徴的なのは、陸軍省や新聞社の派遣として「従軍」し、中国大陸やフランス領インドシナなどへ旅をしたことであり、他の女性画家たちとは事情が大きく異なることが指摘されている(注16)。従軍から戻った後はその体験を著作にまとめ、挿絵、絵画の制作に生かしている。長谷川春子は聖戦美術展などにも出品しているが、一方で男性画家のように軍の委嘱により戦闘場面を描くことはなかった。1943年、長谷川春子を委員長として「彩管報国をめざす閨秀画家によって組織され」(注17)た女流美術家奉公隊が活動を始める(注18)。奉公隊は、女性の労働をテーマとした大作《大東亜戦皇国婦女皆働之図》〔図6、7〕を制作し、敗戦を迎える年まで展覧会を開催した。また戦後すぐの45年12月には奉公隊で活躍したメンバーたちが女流美術家協会展を東京で開催、さらに奉公隊に関わった画家が多く参加した「女流画家協会」が1947年に創立され、戦時下から戦後へとつながりを見せている(注19)。戦中は制作によって銃後を支えることを求められ、戦後は女性の自立を作家活動によって実現しようとした女性美術家たちは、男性とは異なる足跡を1940年代に残している。

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