― 94 ―⑵北澤憲昭、森仁史、佐藤道信(編集)『美術の日本近現代史─制度 言説 造型』東京美術、2014年。⑶河田明久(責任編集)『日本美術全集 第18巻 戦前・戦中 戦争と美術』小学館、2015年。⑷田中淳「昭和期の美術への試論─近代から現代への架橋として」『昭和の美術:所蔵作品による全館陳列』図録、東京国立近代美術館、1989年、9-14頁。⑸ある時代の連続性の捉え方については、下記に学ぶところが多い。E・クロッペンシュタイン、鈴木貞美(編)『日本文化の連続性と非連続性 1920年─1970年』勉誠出版、2005年。⑹河田明久「美術の闘い─昭和前期の美術」前掲『日本美術全集 第18巻 戦前・戦中 戦争と美術』、170頁。⑺初期の日展については下記を参照。『日本美術年鑑 昭和19・20・21年版』国立博物館、1949年。⑻平瀬礼太『彫刻と戦争の近代』吉川弘文館、2013年、164頁。⑼飯尾由貴子「《残照》以前と以後 戦前の東山魁夷の模索と探究」『東山魁夷展。ひとすじの道』図録、日本経済新聞社、2004年、252頁。⑽岡畏三郎「第一回日展評 第二部 西洋画」『日展史16 日展編一』社団法人日展、1987年、416頁。⑾三輪鄰「低調お座なりの兩展」『日本美術院百年史 八巻』財団法人日本美術院、1999年、402頁。⑿菊畑茂久馬「虚妄の刻印 一九五〇年代美術」『菊畑茂久馬著作集2 戦後美術と反芸術』海鳥社、1993年、14-18頁。⒀小沢節子「書評 ヨシダヨシエ著『丸木位里・俊の時空─絵画として『原爆の図』』」『歴史評論』No.580、1998年8月号、校倉書房、1998年、86頁。⒁例えば松本竣介《郊外(焼跡風景)》、《焼跡風景》や、佐田勝《廃墟》など。⒂小勝禮子「第Ⅲ部 戦後 1946-60年」『奔る女たち─女性画家の戦前・戦後 1930-1950年代』図録、栃木県立美術館、2001年、81-82頁。⒃小勝禮子「戦時下の日本の女性画家は何を描いたか─長谷川春子と赤松俊子(丸木俊)を中心として」北原恵(編著)『日本学叢書4 アジアの女性身体はいかに描かれたか 視覚表象と戦争の記憶』青弓社、2013年、27-72頁。⒄前掲小勝論文、42頁。⒅吉良智子『戦争と女性画家 もうひとつの近代「美術」』ブリュッケ、2013年。⒆もちろん、戦時下の奉公隊のメンバーがそのまま戦後の女流画家協会へと移行したわけではない。長谷川春子は戦後美術界から身を引き、三岸節子や桂ゆきらも後に協会を抜けている。⒇戦前の朝鮮半島、台湾および中国東北部(旧満洲)で開催された官設展覧会に関する最新の研究成果として、以下の展覧会図録所収の論文および参考文献に記載の書籍を参照。『東京・ソウル・台北・長春─官展にみる近代美術』図録、福岡アジア美術館(ほか)、2014年。� 金正善「朝鮮美術展覧会の日本人審査員と朝鮮郷土色─西洋画部を中心に」、同図録、184-186頁。� 後小路雅弘「東南アジアにおける「美術」の誕生と日本の戦争」前掲『日本美術全集 第18巻 戦前・戦中 戦争と美術』、215-217頁。� 滝沢恭司「美術家と「南洋群島」と日本近代美術と」『美術家たちの「南洋群島」』図録、東京新聞、2008年、16-24頁。� 小沢節子「丸木俊─旅する女性画家」『生誕100年記念 丸木俊展 女絵かきがゆく─モスクワ、パラオ、そして原爆の図』図録、一宮市三岸節子記念美術館、2012年、7頁。� 日本あるいは日本人をめぐる境界の不確定性については下記に詳しい。小熊英二『〈日本人〉の境界』新曜社、1998年。
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