― 1 ―Ⅰ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告1.2014年度助成① 木挽町狩野家における法華信仰と絵画について─「日蓮聖人縁起絵巻」を中心に─研 究 者:池上本門寺 管理部 霊宝殿担当主事 安 藤 昌 就はじめに江戸幕府に仕え画壇の頂点に君臨した御用絵師狩野家は、殆どが日蓮宗を信仰し(注1)、中でもその中核を担った中橋・鍛冶橋・木挽町・浜町の奥絵師4家は、菩提寺を長榮山本門寺(池上本門寺 以下、本門寺)とした。この内、木挽町家の狩野典信が安永9年(1780)11月に描き、本門寺へ奉納した「日蓮聖人縁起絵巻」(原本戦災消失 以下、「縁起絵巻」)の模写本が近年確認された(注2)。狩野家において、自らの信仰を表出させた作品は殆ど知られていない中、この作品は信仰に関して注目すべき内容を多く含んでいる。本稿ではこの模写本を通して奥絵師の中核を担った木挽町家における信仰の姿を見ていきたい。狩野典信の「日蓮聖人縁起絵巻」奉納と妙性尼「縁起絵巻」の模写本は妙法寺(岡山県津山市)が蔵する。筆者は津山藩御用絵師狩野如水由信。模写願主の跋より原本が本門寺に奉納されてから9年後の寛政2年(1790)に制作されたことが知られる。『鶴林』宗祖六百五十遠忌記念特集号(注3)には「文化文政時代の本門寺三景」と題して、写真3枚にわたり什宝の境内図を掲載する〔図1〕が、その図は「縁起絵巻」に描かれた長榮山図そのものである〔図2〕。これにより『鶴林』掲載図が典信筆であると知れるとともに、狩野如水の模写が忠実であることも確認できる。さて、「縁起絵巻」巻八には典信による跋があり、その内容は極めて示唆に富む。要旨は次のようなものである。典信は十年余りをかけて忙しい公務の間に日蓮の縁起を描いていたが、来年(天明元年)が日蓮五百遠忌に当たるため、それを期して仕上げた。父古信早世後、2歳の典信を育成した母妙性尼の苦労を偲び、母の長寿と家の繁栄を母に見せたいとの願いを本門寺に祈念していたが、その加護により「とし十七にしてかたしけなくおまへに
元のページ ../index.html#11