tsuto
121/639

― 111 ―2. 第2墓《狩猟図》─先行研究と問題の所在ギリシア北部マケドニア地方にあるヴェルギナは、前7世紀から前5世紀末まで古代マケドニア王国の中心地であり、かつて首都アイガイがあった場所と確実視されている(注1)。テッサロニキ大学教授のアンズロニコスは、1977年から1978年にかけてこの地で調査を行ない、巨大な墳丘の下からマケドニア式墳墓4基と英雄廟の基壇を発見した(注2)。現在この墳丘は地下が博物館になっており、発見当初とほぼ変わらない状態の墳墓正面を鑑賞することが出来る。このうち第2墓は、古代ギリシアの神殿を模したファサードの上部に、狩猟場面を描いた壁画を伴っていた。この《狩猟図》は、当時のマケドニア美術が高度な水準に達していたことを示すだけでなく、前4世紀のギリシア絵画の様式や技法を伝える貴重な資料でもある。第2墓は主室と前室の二室から成る典型的なマケドニア式墳墓であり、その規模や構造、豪華な副葬品などから、前4世紀後半に造営された王墓と考えられている(注3)。墓室からは男女の人骨が発見され、アンズロニコスは彼らをアレクサンドロスの父フィリッポス2世(在位、前360/359~336年)と7番目の妻クレオパトラであると発表した。以来被葬者をめぐって膨大な議論がなされているが、未だ決着はついていない(注4)〔図4〕。一方で、墓の入口を飾る《狩猟図》については、損傷が激しいこともあり、未だ考察が十分になされているとは言えない。《狩猟図》は縦1.16m、横5.56mにわたる壮大なフレスコ画である。墓を覆っていた土が小石を多量に含んでいたため、それらが長い年月をかけて表面全体を粒状に傷つけ、顔料はひどく剥落してしまっている。画面には、10人の男性が、鹿、猪、獅子、熊の狩りに興じる様が描かれている。本作の制作年代や画家については明らかでないが、リボンなどで装飾された木や、特徴的な形状の四角柱が後景に描かれていることから、狩猟が行なわれている場所は人工的に整えられた空間、あるいは聖域である可能性がある。おそらく、多くの研究者が認めるように、本作に描かれている場所は猟場(paradeisos)だろう(注5)。画中には被葬者と埋葬者が表されていると考えられ、主に二つの説が提唱されている。一つは、画面中央で広い空間を占め、また両側に木々が配されていることで他の人物よりも目立って表されている若者をアレクサンドロス、そして獅子に上方から攻撃する有髭の男性をアレクサンドロスの父フィリッポス2世と見なす説(フィリッポス説)であり、発掘者のアンズロニコスをはじめ、多くの研究者によって支持されている。著述家ユスティヌスによれば、アレクサンドロスが即位後最初に関心を払ったのは、父王の葬儀であった(注6)。墳墓の入口に埋葬者であるアレクサンドロス、そして被葬者であるフィリッポス2世を描いたとする解

元のページ  ../index.html#121

このブックを見る