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― 114 ―て、《アレクサンドロス石棺》を挙げたい。《アレクサンドロス石棺》は、サイダ(現レバノン)に栄えた古代フェニキアの一都市シドン近郊の、王族のネクロポリスから発見された(注12)。棺の一面には、獅子狩りを描いた浮彫が表されている〔図7〕。浮彫の画面中央で獅子と対峙する、ペルシア風の衣装を身にまとった人物は、墓主であるシドンの王アブダロニュモス(在位、前332~312年)と考えられている。そして彼の後ろから援けに駆けつける人物は、石棺の浮彫に登場する人物中、唯一ディアデムと思しき金属製の頭飾りを身に着けていた跡があることから、アレクサンドロスと考えられている(注13)。著述家クルティウスによれば、アブダロニュモスはアレクサンドロスによってシドン王に抜擢された人物である(注14)。彼が自分の石棺にアレクサンドロスの姿を表したのは、アレクサンドロスとの密接な関係を示すことで、後継者戦争下で庇護を得るためであったと考えられる(注15)。また、クルティウスは彼の即位に際し、彼を妬み即位に反対する人々についても言及しており(注16)、アレクサンドロスよりもアブダロニュモスが前に出て獅子と堂々と対決する姿は、彼が得た王権の正当性を誇示しようとしたからに違いない。この石棺は、アブダロニュモスの在位期に制作されたと考えられているが、おそらくアレクサンドロスの死後、つまり前323年以降に制作されたのではないかと推測される。何故ならアレクサンドロスの存命中に、アブダロニュモスが自らをアレクサンドロスに先んじて獅子と戦う姿で表すことは考えにくいからである。著述家のアッリアノスやクルティウスらによれば、アレクサンドロスは自分よりも先に獲物を仕留められることを好ましく思わなかった(注17)。石棺上に見られる獅子狩りのような表現は、アレクサンドロスの死後にのみ可能だっただろう。4.おわりに《アレクサンドロス石棺》における「獅子狩り」の表現との類似から、ヴェルギナ第2墓《狩猟図》の中央に表された若者は、アレクサンドロスよりもカッサンドロスであり、獅子と戦う有髭の人物は、フィリッポス2世の浮彫よりもアッリダイオスを描いたと考えるのがふさわしいように思われる。何故なら石棺と同様、画面に被葬者の存在を必要としながらも、埋葬者のほうが画面の中央を大きく占め、あたかも主役のように表されているからである。このような表現が形成された背景には、アレクサンドロスの死後、領土内の情勢が不安定になったことで、王位継承者が先王との密接な関係性を示すと同時に、自身の権威を誇示する必要性がより高まったためと考えられる。

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