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― 3 ―竪物」と「草花小禽双幅」)は、「筆意たゝしくよくその所天を学ふもの」であったと記している。東京藝術大学大学美術館は近代に模写された木挽町家当主の肖像を所蔵する。何れも原本の伝存は知られていないが、この中に古信とともに妙性尼の肖像も存在する〔図3、4〕。晩年の姿と思われ、恐らく原画は没後に影像として典信が画いたものであろう。一点を見据えたその面貌には探幽像にも通じる強固な意志を漂わせる。それは2歳で死に別れ面影を知らない父古信の肖像が若々しく理想的に画かれているのと対照的である。この肖像は、妙性尼が当主に準じる特別な存在であったことを示している。「日蓮聖人縁起絵巻」の構成「縁起絵巻」はこれまで流布した「日蓮聖人註画讃」5巻とは異なり、8巻に調巻されている。『法華経』8巻に擬したものであろう。〔表1〕は「縁起絵巻」と「註画讃」主要本との段構成を比較したものである。「註画讃」では本により内容に異同があるものの、何れも5巻のうちに32段を収める。これに対し「縁起絵巻」は7巻に4段宛、計28段で日蓮伝を描く。各段の題を一見して分かるように内容は「註画讃」に拠らず、別の情報源より構成を行っている。「註画讃」に見られた伝記的な記述は最小限に止められ、ゆかりの寺院に伝承される霊験譚を数多く採録して日蓮の生涯を構成しており、これは特に龍口法難以降に顕著である。これら霊験譚の多くは、延宝9年(1681)に版行された『日蓮大聖人御伝記』にはじめて採録され巷間に紹介されるが、その後、身延日省『本化別頭高祖伝』(享保5年跋)、身延日潮『本化別頭仏祖統紀』高祖伝(享保15年)に発展的に継がれていく。「縁起絵巻」は各霊験譚を伝承する寺院を明示する詞書の内容から、『本化別頭仏祖統紀』を情報源にして新たに書かれたものと推測するが、同書に採録された数多くの事績や霊験譚の中から21の話を選択して構成されている。ここに描かれる日蓮は神仏の加護を受けて霊験を示す超人的な行者にほかならない。また、絵画表現の上でも随所に超人的な行者日蓮を鑽仰する表現が顕著に見られる。一例を配流地佐渡にて諸宗代表者と法論し破折したという塚原問答に見ると、「註画讃」諸本では法論をそれらしい場として描くのに対し、「縁起絵巻」での日蓮の面貌容姿は釈迦のようであり、説法の場の如く描かれている〔図5、6〕。「縁起絵巻」各巻の見返には画が描かれ、巻一から四までが四天王、巻五が不動明

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