― 125 ―芸術および装飾芸術において展開させようとする彼の姿勢を読み取ることができる。しかしそれが必ずしもミュンヘンの装飾芸術の模倣という帰結を生まず、むしろ独自の秩序と伝統の模索という過程の契機となっていたことは、以下に論じるように、彼の《メゾン・キュビスト》のファサードのための習作の中に見てとることができる。4-2.装飾モチーフの展開1912年以前にも、デュシャン=ヴィヨンは、1911年のサロン・ドートンヌおよび、1912年6月5日-25日に開催された「アンサンブル・モデルヌ」展(注14)にて、マールの室内装飾展示企画のために自身の彫刻作品を展示している。この2つの企画は、すでに「メゾン・キュビスト」以前から、室内における身体像の展示の問題へと彫刻家の関心を向かわせている。ポンピドゥー・センターに所蔵されている1911年頃の素描〔図15〕では、室内の角に《座る女》(1910年、Mnam)と、それに向かい合うように部屋の反対側の台座に置かれた胸部像が描かれている。また1912年3月の展覧会の招待状の裏には、部屋の展示風景だけでなく作品と家具との設置を考案した見取り図も描かれている〔図16〕。描かれている胸部像の設置位置が非常に高いことを考えれば、想定されている作品は、習作のなかで高所に設置されることを予定されていた《ボードレール》である可能性が高い。しかしこれらの展示案においては、植物モチーフの窓飾りや渦巻状の柱頭装飾のような装飾と、幾何学的な輪郭を特徴とする彼の彫刻作品とが様式的に一致していない。《メゾン・キュビスト》は彼にとって、彫刻作品で追求した幾何学的様式を装飾モチーフにおいても模索するような、最初の機会となった。ポンピドゥー・センターにはこの企画のために制作された素描のシリーズが所蔵されているが(Mnam, AM.1984-476)、そこには有機的な曲線や螺旋を多用する装飾モチーフから次第に簡素な直線的形態へとイメージが変容する様を認めることができる。とりわけここで新たに注目したいのは、同シリーズにエッフェル搭から着想を得たと考えられる幾何学的な構造の柱の習作〔図17中央〕と、ゴシック建築のヴォールトから着想を得たと考えられる柱の習作〔図18〕、さらに黄金比率を計算した素描(Mnam, AM.1984-476, 8V)(注15)とが同時に含まれているという事実である。エッフェル塔とゴシック建築、そして数学的な美、この組み合わせはまさに、「建築と鉄」と題された1914年初頭の記事のなかで、デュシャン=ヴィヨンが実際に関連付けていたものである。そこでデュシャン=ヴィヨンは、ゴシック建築であるパリのノートルダムと、近代建築エッフェル塔の両者に「常により大きく、より高く、より大胆なも
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