― 133 ―⑬エルネスト・シェノーのジャポニスム─芸術におけるナショナリズムと産業芸術振興をめぐって─研 究 者:ソルボンヌ大学大学院 美術考古学科 博士課程 齋 藤 達 也Ⅰ.シェノーの日本美術論19世紀フランスの美術批評家エルネスト・シェノー(1833-1890年)〔図1〕は、同時代美術を論じた人物としてよりも、日本美術を先駆的に論じた者としてよく知られている。1867年のパリ万国博覧会に際して発表した日本美術論(注1)、さらに1869年に装飾芸術家に対して行った講演の記録は(注2)、ジャポニスム黎明期にフランス人によって執筆された初めての本格的な日本美術論だったといって差し支えないだろう(注3)。また1878年のパリ万博の際に著された「パリにおける日本」(注4)と題する論文は、同時代の芸術家やコレクターについての貴重な証言になっていて、今日のジャポニスム研究で頻繁に参照されるテクストとなっている。それでは、同時代美術の批評家だったシェノーが、いまだ情報量の少なかった日本の美術をあえて積極的に取り上げて論じた理由は何か。そしてまたなぜ、いち早くその芸術の本質を抽出・整理して、フランスの装飾芸術家に伝える必要があったのか。シェノーによる日本美術論それ自体の内容や、その重要性と先駆性についてはすでに紹介されてきた(注5)。ところがその重要性にも関わらず、こうしたテクストの成立条件を問い、日本美術論を歴史の中により正確に位置付けようとする試みは十分になされてこなかった。国際化によって画一化する同時代美術を前にして、美術批評家としてシェノーは西洋各国の芸術の固有性がいかに重要かということを説いていた。他方ではそうした固有性を保持したまま、産業芸術発展のために異国の芸術を摂取すべきだとも考えた。一見すると相容れないこうした立場に潜む論理を理解するには、シェノーが唱えた「ナショナリズム」の理念を検討しなくてはならない。Ⅱ.「芸術におけるナショナリズム」の理想と日本美術制度化された学問としての美術史学がいまだ整備されていなかった19世紀半ばのフランスでは、自国の美術の歴史を学問的に記述する試みや、作品や史料の体系的整理を通じ、フランス美術のアイデンティティーが問われるようになった。例えば18世紀のフランス美術の再評価が進み、フィリップ・ド・シュヌヴィエールは『アルシーヴ・ド・ラール・フランセ』によってフランス美術史に関わる未刊行史料の出版を開始し、地方美術館ではコレクションの目録化が着手され、『ガゼット・デ・ボザール』
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