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― 134 ―をはじめとする美術専門誌の刊行が始まり、シャルル・ブラン編纂の『全流派画人伝』に代表される、芸術家の伝記の刊行も相次いだ。また1855年のパリ万博や1857年のマンチェスター美術名宝博覧会によって、西洋諸国の芸術が一堂に会し、いわば比較される機会も増えてゆく。それに合わせ、美術史や美術批評においてもナショナリズムの色合いのある言説が見られるようになる(注6)。シェノー自身もこうした問題意識を共有しており、フランス美術の特質はレアリスムの伝統にあり、歴史を遡ればル・ナン兄弟や、ワトーやシャルダンといった18世紀の画家の中にその伝統が見出されるとする(注7)。反対にプッサンやダヴィッドに代表される古典主義に対する態度は厳しい。古典主義はイタリアの巨匠の模倣に専念することで、フランス美術の独自性を損ねたとするのがシェノーの立場だ。1862年にはアングルやカバネルといったアカデミズムの画家に対して、「フランス的イタリア主義」(注8)だと断じている。ただし、フランス美術だけではなく、西洋各国の美術の固有性が失われつつあると危惧を募らせるところが、シェノーの問題意識を大きく際立たせている。この危惧は、1867年のパリ万博を振り返りつつ、珍しく理論的に自身の考えを述べた論文「芸術におけるナショナリズム」において明確にされている。この広大な競争の中から、いかなる独創的な潮流も、豊かな視野も、将来の糧も得ることはできない。だが、各国の古の流派に特徴的だった固有性が全体として消失していることを確認するには、美術に割り当てられた展示室をいくつか訪れてみるだけで十分だ。〔中略〕あちらこちらで、同じ描き方、同じ技法、わずかな例外を除いて同じ巧みさが見て取れる。同種のモチーフ、同種の混同があちこちにあるのだ(注9)。各国の美術の独自性が失われつつあるという見解を示した上で、シェノーはさらに次のように続ける。この博覧会からわかるのは、西洋において芸術は、ゲニウス・ロキや、あるいはまた人種、環境、各々に異なる文化的伝統によって決定付けられていた国民芸術の集まりや並置ではなくなってしまったということだ。あらゆる障壁が消えてしまい、そのことで芸術は全速力でコスモポリタニズムに向かっている。〔中略〕西洋の芸術はコスモポリタンになったのだ(注10)。

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