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― 135 ―哲学者イポリット・テーヌが、ある社会の文学や芸術は「人種、環境、時代」によって決まると主張したように、シェノーも、本来的にはこうした要素によって各々の国の芸術が特徴付けられるべきだと考えていた。しかしながらシェノーが1867年の万博会場で見出したのは、そうした国民芸術の集まりではなく、国際化する芸術家の移動や博覧会の開催によって画一化する芸術であった。そうした悪しき傾向は「コスモポリタニズム」の一言でまとめられている。これに対置する概念としてシェノーが打ち出すのが「ナショナリズム」の概念で、すでに見た論文「芸術におけるナショナリズム」においてもはっきりと表明されている。大陸の芸術とは異なり、独自の芸術を開花させていたイギリス美術までもがコスモポリタンな傾向を示すようになったことについて論じた後年の論文の中で、シェノーは自身が推し進めるこの「ナショナリズム」の概念を次のように説明する。こうした作品がそういうわけで失ってしまったのは、この地域固有の特徴、生まれたところの刻印、生まれつきの特質、「土地の匂い」、外国の感性、異質の環境、一言でいえば「ナショナリズム」である。「ナショナリズム」は、芸術が誠実であるかぎり、外国の芸術における抗いがたい魅力だというのに(注11)。注意すべきは、シェノーのいう「ナショナリズム」は、自国の芸術を称揚するという、一般的な意味では使われていないという点だ。そうではなく、各々の国が、その地域独自の芸術を育むことをシェノーは「ナショナリズム」なる概念によって説いている。この概念がいかに重要であったかということは、シェノーがブリュッセルで行う講演の主題について友人に宛てた書簡に、「講演の主題として、私が著作で何度も繰り返し述べてきた考えを取り上げようと思います。すなわち芸術の領域で、ナショナリズムを守り、コスモポリタニズムと戦うということです」(注12)と記したことからもわかる。「ナショナリズム」はシェノーの様々な著作を通底する概念だったのだ。それでは、西洋の芸術が均一化しているとの懸念を抱いていたシェノーは、1867年のパリ万博に初めて公式に参加した日本の芸術に対して、どのような反応を示したのだろうか。シェノーは『芸術において競い合う諸国民』と題した著作の最終章で、日本美術について多く紙幅を割いて論じる。その章の冒頭では、コスモポリタンな傾向を見せ始める西洋の芸術の状況が総括された上で、独創的な芸術を開花させた国として日本の名が挙げられる。

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