― 137 ―万博に展示された日本の油彩画について、実質的な見解を残した批評家がおそらくシェノーひとりであったという事実は示唆的だ。「ナショナリズム」という理念の実現を日本美術に見出したシェノーだからこそ、国の近代化と同時に日本の芸術がコスモポリタニズムへと向かう兆候を見過ごすわけにはいかなかったに違いない。Ⅲ.日本美術の装飾文法の応用に向けてシェノーの日本美術論を理解する上で考慮すべきいまひとつの歴史的文脈は、西洋における産業芸術振興の文脈である(注16)。1851年と1862年のロンドン万博、そして1855年のパリ万博において、フランスは産業芸術の分野でイギリスに徐々に立ち遅れ始めているとの焦燥感をつのらせた。そこで産業芸術を振興するための様々な方策がフランスではとられたが、その中のひとつに、産業応用美術中央連合の設立がある。この組織は、コンクールや展覧会の開催、図書館の整備、講演会の開催などを通じて、装飾芸術家を支援するために1864年に生まれ、その後1882年には装飾美術中央連合へと再編され、のちの装飾美術館の母体となった。シェノーは1864年の創立時から中央連合の中心的な会員として活動している(注17)。1869年に中央連合は、パリの産業館で「東洋美術館」と題する、アジアの美術品を展示する大規模な展覧会を開く。ここに自身の所有する浮世絵などを貸し出したシェノーは講演会も開き、日本美術について講じた(注18)。中央連合主催のこの講演会は、主にフランスの装飾芸術家に向けられたもので、それゆえ日本美術の装飾文法を紹介する内容となっている。その一部分を紹介してみよう。みなさま〔中略〕日本の装飾芸術の本質的な特徴は次のようであると、お気づきになるでしょう。すなわち第一に対称性の欠如、第二に様式、そして第三に色彩です(注19)。このうち「対称性の欠如」については、シェノーは「非対称性」というひとつの概念にまとめる。この概念化は、その後多くの批評家によって繰り返される日本美術の特質となるという意味で、画期的だった。シェノーは続けて、西洋の伝統的な装飾文法としてある「対称性」に固執することを戒め、日本美術に見られる自由な「非対称性」の原理を参考にすることを強く勧める。さて、みなさまが日々戦うべき相手は、まさにこの〔西洋伝統の幾何学的〕形態
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