― 138 ―なのです。みなさまの役目はそうした形態を生き生きとしたものにすることです。私の考えを突き詰めて述べるならば、実用的な原理には従いつつも、そういった形態を隠し、できるだけ目につかないよう変えることにみなさまは秀でています。美的な才能がこの意味でなしうることは、日本美術が数え切れないほどの実例を見せてくれています(注20)。シェノーが日本美術の本質を3点に絞って整理したのは、装飾文法を芸術家が深く理解した上で作品に応用することを後押しするためであった。またそのことで、表層的な模倣を回避できると考えたのだろう。1878年のパリ万博が訪れると、シェノーは『ガゼット・デ・ボザール』に日本美術論を執筆する。この論文は当時の芸術家やコレクターの実名を出し、ジャポニスムが流行する様子を語るという意味で貴重な証言となる記事であったが(注21)、ここでもシェノーはフランスの装飾芸術を論じる。ブラックモン氏のテーブルウェアセットは、ある決まった様式を知的に解釈することで得られる、完璧な見本であった。この仕事熱心な芸術家は単に、われわれの野菜や家禽から装飾の要素を選び取ったのだ。彼が日本の芸術家に借りたのはただ、フランスの装飾における慣習よりもはるかに大きな、モチーフの配置に関する自由でだけあった。つまり、中心をあえてずらすこと、均衡を破り、マッスの釣り合いをとること、そして私が非対称性と名付けたものを縦横に使うことである。〔中略〕これらはみな理にかなっており、筋が通っていて、的確で、強く惹きつけてやまない素晴らしい独創性が、魅力的な芸術を生みだしているのだ(注22)。ここでは、1869年の講演でも強調していた「非対称性」の装飾原理を持ち出し、それを《セルヴィス・ルソー》〔図2〕へと応用した人物としてフェリックス・ブラックモンの名が挙げられている。「われわれの野菜や家禽」と述べられるように、フランスという土地固有の動植物をモチーフとして選択した点は、シェノーにとってとりわけ重要だった(実際には『北斎漫画』からの借用ではあるが)(注23)。安易にモチーフを写し取るのではなく、日本の装飾文法を参考にすること、つまり「ナショナリズム」の理念を実現しつつ他国の芸術を応用していることが、《セルヴィス・ルソー》の高い評価へとつながっている。
元のページ ../index.html#148