― 149 ―た画稿も含まれていること、また応挙作品を写した画稿だけでなく、源琦、岸駒など他の絵師の作品を写している画稿があることも明らかになった。植松家に伝来した絵画作品はすでに東京国立博物館へ寄贈されているが、本研究の対象となった画稿類だけでなく、植松家を訪れた人々が記した芳名録や書画など、未調査の史料があり、引き続き植松家における文芸活動について考察していきたい。付記:今回の調査研究に際して、御所蔵者様、東京国立博物館、佐野美術館、藤岡光影堂にご協力頂きました。末筆ながら心から感謝と御礼を申し上げます。注⑴沼津市史編集委員会『原縮植松家 日記・見聞雑記 三(沼津市史叢書三)』沼津市教育委員会、1995年、pp. 204, 205。⑵斎藤信訳『江戸参府紀行(ワイド版東洋文庫87)』平凡社、2006年11月。⑶菅沼貞三「植松家の応挙と大雅」『大和文華』30号、1959年、pp. 76-86。佐々木丞平「円山応挙関係資料 植松家蔵品を中心にして(上)」『仏教芸術』79、毎日新聞社、1971年5月。佐々木丞平「円山応挙関係資料 植松家蔵品を中心にして(下)」『仏教芸術』80、毎日新聞社、1971年6月。佐野美術館編『東海の名園に遊ぶ 植松家と文人墨客』、1995年。なお、「画稿」という語は「下絵」または「粉本」と同様に「絵を制作するときに用いる下書きを意味するが、本研究対象の史料には未完成の絵や対象を記録するために描いた画や版画なども含まれているため、史料全体を総称する場合にも「画稿」という語を用いる。⑷本研究対象の画稿の写真は、次の図録に掲載されている。前掲注⑶ 佐野美術館、No. 46, 48。大阪市美術館ほか編『円山応挙〈写生画〉創造への挑戦』毎日新聞社、NHK、2003年、No.116。⑸高橋敏『地方文人の世界』同成社、2011年。⑹植松家と池大雅の関係については次の論文を参照。前掲注⑶ 菅沼論文。日比野秀男「駿東原宿・植松家の池大雅」『静岡県史研究』8、1992年。前掲注⑸ pp. 43-58。現在植松家伝来の蕭白作品が数点確認されているため、池大雅だけでなく、曾我蕭白も斯経から蘭渓に紹介した可能性もある。⑺『沼津市史 史料編 近世2』沼津市、2000年、pp. 608-609。前掲注⑷ pp. 61-63。⑻前掲注⑶ 菅沼論文p. 77。⑼加藤弘子「円山応挙の写生図に関する調査研究」『鹿島美術研究』年報第26号別冊、2008年。⑽この画稿には「漁夫 圓山先生写寛政甲寅暮春 益田蔵 漁夫樵夫二幅対」と書かれている。
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