― 6 ―守護神のうち随一として典信が信仰を寄せるのは毘沙門天であることを明示しているといえよう。また、巻五の第二段には、佐渡流罪を赦されて鎌倉に帰る途中の日蓮が、越後国高田にて毘沙門天の化した男に出迎えられて、自身が祀られている真言宗寺院へ招かれ、寺僧が日蓮に帰依して改宗したという、日朝寺の出迎毘沙門天の伝説を採り上げてる〔図10〕。この伝説は『日蓮大聖人御伝記』に初めて採録され、その後『本化別頭高祖伝』、本絵巻の情報源と考えられる『本化別頭仏祖統紀』高祖伝に採録されるものの、後刊の多くの日蓮伝が採り上げるところの伝説ではない。数ある伝承の中よりあえてこの伝説を採り上げているところに、法華経守護の善神としての毘沙門天を信仰する者としての意図を見ることができる。長榮山図が意味するもの前述の通り、「縁起絵巻」は数々の霊験を示してきた日蓮の棲神の地として最後の巻を長榮山図に当てている。ここに描かれた伽藍は、例えば祖師堂の向拝が本来は流向拝のところ唐破風で描かれるなど、実際よりも華麗に潤色され表現されているが〔図11〕、その位置関係は灯籠の類いに至るまで正確である。4月28日の日蓮立教開宗の聖日を意識してであろうか、本門寺を象徴する松の緑に加え満開の桜が咲き誇る境内の様は、地に引かれた金泥とともに、さながら仏国土をイメージさせる。境内には多くの参詣者が描かれ、見世物を楽しむ者、茶店に憩う者、露天商を眺める者、花見をする者など、様々に参詣を楽しむ姿が見られる。ここに描かれた本門寺は、まさに前段までに見た日蓮の霊験に守られて繁栄する姿であり、日蓮の魂が宿り息づく理想的な世界としての姿である。そのような光景の中、本図には5カ所の墓が描かれている。まずは主要伽藍より奥に進んだ上方に描かれる日蓮廟所〔図12〕。次に五重塔脇に塀と基壇のみ描かれる深徳院墓所〔図13〕。深徳院は紀州藩主時代の徳川吉宗側室で9代将軍家重生母である。すやり霞で墓塔本体を隠すのは将軍家に対する敬意の表現であろう。そのやや下方にも墓碑が描かれるが、この位置に所在する墓は木挽町家2代常信以外にはない。『有徳院御実記附録十六』(以下、『実記』)の記事から、画に造詣が深かった吉宗は常信・周信より画を習ったことが知られるが、その両名のみ狩野家累代が葬られる日蓮荼毘所周辺を離れて、深徳院墓所参道入口の両脇に葬られている。これは吉宗の意向によるものと考えられるが、周信墓であればもう少し上方の五重塔寄りでなければならない(注13)。他方、日蓮廟所より視線を下方に移すと、石階下に小堂を伴った空地が広がる。こ
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