― 154 ―⑮青木繁作品における宗教との関連性研 究 者:関西大学 非常勤講師 髙 橋 沙 希はじめに明治時代の洋画家である青木繁(1882~1911)が海外の美術から影響を受けていたということは、すでに多くの先行文献で指摘されている。しかしながらヨーロッパの世紀末美術をはじめとする西洋美術との関わりが頻繁に指摘されている一方、青木の数枚のインド文化に関する作品については、図録や画集において紹介・解説などがされてきてはいるものの、これまで纏まった形で論究されたことがない。作品数が多いとはいえない青木研究において、青木とインド文化との関わりについても論考しておく必要があるだろう。本論では、まず青木とインド文化に関する文字資料の整理をした後、青木のインド文化を題材とした作品を分析する。また『舊約物語』〔中村吉蔵(春雨)、金尾文淵堂、1907年〕の挿絵を描いていることや、残っている青木の文章などから、彼がキリスト教やヒンドゥー教などの宗教に興味を持っていたことが明らかになっている。そこで、ここでは青木の宗教心の有無についても視野に入れて、彼の画業においてインド文化がどのように関わっているのかを考察したい。1 青木の発言と追想明治時代において、仏教の源流であるインドと日本は文化的にも政治的にも交流関係にあった。青木が利用したと考えられる帝国図書館、すなわち国立国会図書館の書物を調査すると、青木が東京美術学校に入学した当時、地理・哲学・インド哲学など多くのインド文化に関する書物が日本で出版されていたことが把握できる。明治38年(1905)2月発行の雑誌『白百合』20巻4号における、青木の自宅での取材の記事には、青木が「印度建築」の本を持っていたことも記されている(注1)。また、青木がインド文化に関心をもっていたことは青木自身の発言からも理解することができる。残されている青木に関する文章がほとんどすべて掲載されている『假象の創造[増補版]』(中央公論美術出版、2003年)においては、青木のインドに関する発言を10箇所以上確認することができるので、以下にいくつかを引用して検討を加えたい。支那でも印度でも昔は非常に盛んであつたけれ共今日では東邦諸國の繪畫は衰頽
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