― 169 ―紙や11紙、第3巻第23紙や28紙)。これは「風神雷神図屏風」にも共通する。また、何度か本画を動かして線を写しとって絵を仕上げているところもあるのではないかと、川嶋氏が実践して下さった。画家は絵の上に紙を敷いて写す時に、自分の紙を自在に動かしながら、自由に制作するとのことだった。先の第2巻第6、7紙はそのように感じられた。他は、紙の縦の長さにバランス良く納まることを意識して配置を若干変えているように思われた。5.調査結果従来から指摘されているが、宗達本は没骨法やたらし込みが用いられ、宗達風が旧毛利家本より出ている模写作品である。光琳本はその宗達の特徴もよく捉えている。それだけでなく、剥落の多い宗達本をある程度復元することも可能であることを次に述べたい。注目したいところは、西行が梅を見て物を思う場面(第2巻第3紙)で、梅の幹には金泥が点じられ、蕾と満開の梅花が描かれているが、宗達本では剥落のため、花びらの輪郭線が消え、ピンクの円が厚めに塗られているだけである〔図7〕。しかし、光琳本をみるとおそらく銀泥で花びらの輪郭線が描かれており〔図8〕、直接宗達本を確かめると、一部輪郭線が残っているのが確認でき、光琳本は当初の宗達本の姿を留めているのではないかと考えられる。ちなみにこの場面も梅だけでなく、西行も建物の輪郭線も概ね一致する〔図9〕。さらに、宗達本に描かれている数種の鳥には剥落があり、顔などが分からなくなっているところがあるが、光琳本の方は剥落がなく、丁寧かつ明快に描かれた状態で遺っており、宗達本の当時の姿が推測できよう。天竜川の船中で打たれる場面〔図2〕でも、左の笠を被った女性の右側にいる女性の白地の服に、光琳本では小さな四角い緑と青の模様が描かれているが、宗達本は剥落の為、模様を確認し難い状態である。目を凝らすと同じ色の模様の痕跡が確認でき、光琳本の存在がなければ気づくことは難しい。その他には特に緑色の草、黄色の葉が宗達本では薄く、みえにくくなっているが、光琳本では鮮やかに遺っている。これらは光琳本の存在によって、宗達本の本来の姿が浮かび上がってくるところである。従って、宗達本の元の姿を留めている光琳本の存在意義は大きいと言える。但し、〔図1〕の老僧には光琳本では後頭部に白髪が見られたが宗達本では確認できなかった。白い髭もあるようだが宗達本にはもとからなかったのか、剥落したのかは不明である。
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