― 8 ―いない。典信が日蓮の生涯を受ける形で長榮山図を描き、その中に江戸狩野の祖で吉宗が好んだ探幽と、木挽町家興家の祖で吉宗に画を教授した常信、父古信の墓を、吉宗側室で将軍生母である深徳院墓所とともに描いたのは、信仰により諸天善神に護られた先祖の安穏の場として、そして何より仏神の導きと瑞縁により家の隆昌を見たことを象徴する場として、本門寺を位置づけたためではなかろうか。おわりに『東洋美術大観』には木挽町家が蔵した妙性尼の遺文がひとつ採録されている。その内容は古信遺言と典信育成についてのもので、「縁起絵巻」跋に通じるが、その遺文と「縁起絵巻」跋には妙性尼が詠んだ次の歌が記されている。あふくそよ神と君とのへたてなくおなしめくみにかヽるちかひを言うまでもなく神とは法華経守護の善神や日蓮であり、君とは将軍家であろう。この両者を自家に結びつける信仰の場として意識されたのが本門寺であった。この歌にある母の思いとそれに対する神仏の感応への報恩が、本門寺に納めた典信の「縁起絵巻」には込められているのであろう。注⑴ 幕府御用絵師(奥絵師・表絵師)狩野17家の菩提寺をみると、神田松永家と根岸御行松家は未詳ながら、天台宗の駿河台家と浅草猿屋町代地家分家以外は何れも日蓮宗である。⑵ 岡山県立美術館「美作の美術展」(2013年)に出展され、その後、中尾堯編『日蓮聖人と法華の至宝』第7巻日蓮聖人註画讃(同朋舎メディアプラン 2014年)に採録された。同書は巻八長榮山図以外の全巻を図版掲載するが、作者を典信自筆とするなど解説に問題がある。⑶ 本門寺池上学林文芸部編、1931年。⑷ 徳川彰考会蔵。茨城県立歴史館所蔵写真帳による。⑸ 妙性尼の享年は未詳であるが、『古画備考』巻三十八狩野譜木挽町(東京芸術大学附属図書館蔵)妙性尼項に記録された典信、惟信、栄信合作「鶴に竹」図に添えた妙性尼の和歌に「典信母年八十」とあることから、80歳以上にて没したことが分かる。⑹ 『東洋美術大観』第五冊(審美書院 1909年)350頁。⑺ 東京国立博物館蔵。⑻ 多聞院は7月18・23日、8月1・3・8・9・22日、9月2日条に見られる。殆どはこの年の7月3日に没した伊川院栄信の忌日に当たるため、供養のための訪問と思われる。⑼ 『日蓮宗寺院大鑑』(池上本門寺 1981年)58頁正伝寺項。⑽ 養信私用日記『弘化三丙午年日記』(東京国立博物館蔵)。
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