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― 178 ―共箱の蓋表には「冨貴春/茗瓶」、蓋裏には「奉/鯖江矦命造於/二条邸園中/道八(朱文法螺貝形印「道八」)」の墨書と捺印がある〔図5〕。ここに記された「鯖江矦(侯)」とは、越前鯖江藩主間部詮勝(1804~84)である蓋然性が高い。間部は天保9年(1838)4月から同11年1月までの約2年間、京都および畿内の司法・行政長官である京都所司代を務めていた。この期間はまさに仁阿弥の活躍期であり、また京都所司代は二条城の北隣に所在していた。よってこの箱書は、京都所司代間部詮勝が仁阿弥に命じて、京都二条に所在した所司代屋敷もしくは二条城内の庭において、この急須を作らせたことを示す。ただし、このような急須を一から制作するには、相応な規模の窯が必要になることから、絵付けとその焼き付けを移動式の小さな窯で行った可能性が高い。この間部が仁阿弥の有力な顧客であったことについては、次章で詳述する。【3】仁阿弥道八 染付五清図急須 個人蔵 〔図6〕・〔表1No.10〕   寸法(cm) 総高:9.9 口径:4.8 胴径:8.8 底径:4.5 最大幅:10.9「染付」と呼ばれる、釉薬の下で青く発色するコバルト顔料のみで濃淡を付けながら、向かって右から松・蘭・芭蕉・石・竹を、それらが自然に存在する風景の如く胴部に描く。注口と把手の間には、顔料が滲んで読み難くなってはいるが、「五清図/南田書画」と判読できる文字、把手裏には「道八」銘が染付で記される。共箱の蓋表には、「五清画/急須/道八(朱文瓢形印「道八」)」の墨書と捺印がある。理化学研究所を開設した物理学者であり、陶磁器研究者・収集家でもあった大河内正敏(1878~1952)の旧蔵品である(注9)。この画題も、『方氏墨譜』巻四・四丁の表・裏に「五清」の名称を冠した図様〔図7〕が確認でき、描かれた5種類のモチーフも一致する(注10)。ところが松・蘭・竹は花瓶に活けられ、石と芭蕉はそれぞれ花盆に植わっており、両者は全く別の図様となっている。従って、画題とモチーフの組み合わせのみ着想を得て、図様を新規に創作した可能性が考えられる。墨譜と画題が一致するものの図様が異なる例は、他にも確認できる〔表1No.12〕。しかし、利用例の多くが図様をほぼ忠実に引用するか、あるいは部分的な省略や配置の変更、縦横の比率を変えるといった、少なくとも元の図様の名残が確認できる程度の一部改変に止まる。さらに、染付で記された「南田」が、明末清初時代の画家惲寿平(1633~90、号南田)を指すものであれば、惲寿平作とするこのような落款を伴

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