― 179 ―う挿絵が掲載された、別の版本からの利用を想定するべきかもしれない。これについては今後も典拠の追求を続けたい。以上、【1】~【3】および〔表1〕のとおり、仁阿弥と周平の煎茶器には『方氏墨譜』からの図様利用が複数確認でき、彼らが同書を煎茶器制作時のイメージソースとして利用したことは確実である。さらに仁阿弥は、この他にも様々な版本を参照していた可能性が高いのである。以下にその一例を紹介する。【4】仁阿弥道八 染付柞樫鳥図急須 個人蔵 〔図8〕 寸法(cm) 総高:8.9 口径:5.0 胴径:9.0 底径:4.6 最大幅:12.8切れ込みのある葉と団栗を特徴とする、楢と思しき木の枝に止まる鳥の図が、染付のみで描かれている。この図様は、江戸中期の大坂における狩野派の重鎮で、精力的に画譜を手掛けた大岡春卜(1680~1763)が著し、享保5年(1720)に刊行された『画本手鑑』(注11)の、初巻九丁裏に掲載される図〔図9〕を、ほぼそのまま引用していることが明らかである。ただし、縦長の原図を横に長い急須の胴部側面に適合させるため、原図をやや反時計回りに回転させつつ、はみ出る部分は省略し、原図では画面の枠でカットされている葉先を加筆している。原図の画面右上に「元章」と記されているが、急須にはこの文字が反映されていない。また同巻八丁表の目録には、「米元章 ほうそニかし鳥」と、筆者・画題が明記されている。従って、この図の元になった絵画の筆者は、北宋の画家米芾(字元章 1051~1107)とされている。また、画題の「ほうそ」とは、コナラやクヌギの総称である「柞(ははそ)」であり、「かし鳥」とは現在カケスと呼ばれている「樫鳥」のことである。『画本手鑑』の初巻と二巻には、中国画家の図像が集められていることから、中国の雰囲気をまとわせることが必要な急須に、初巻から図様が選ばれたのは至極当然と言える。ただし『画本手鑑』からの利用は、現段階でこの1図しか確認できておらず、春卜が手掛けた画譜である『画巧潜覧』・『和漢名画苑』・『画史会要』も参照したが、現段階で仁阿弥・周平などの煎茶器に利用された図様は、全く確認できなかった。なお、把手裏には「道八」染付銘があり、共箱の蓋表には、「青華/急須/道八(朱文法螺貝形印「道八」)」の墨書と捺印があり、蓋裏には白文方印「法螺/山人」が捺される。
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