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― 180 ―3.写本を利用した仁阿弥道八の急須仁阿弥の図様利用は写本にも及んでいる。『足利家御同朋巽阿彌秘蔵茶器三百五拾一品之内茶瓶四拾三品』(個人蔵)〔図10〕と題する、足利将軍家の同朋衆であった巽阿弥が秘蔵した茶器351品のうち、茶瓶即ち急須43品の形を図示したという写本が存在する(注12)。簡略な線で急須の形が描写され、一部には箆跡の筋や網目などの細部も加筆されており、図の右上には各急須の名称とその読み仮名が記される。急須という道具自体は、万暦年間(1573~1620)に登場したとされることから、室町時代にこのような急須が日本に存在していたとは考え難く、現在この写本に図示されるような形・名称の中国製急須も確認されていない。おそらく煎茶が日本で流行した江戸中期以降に、室町時代に仮託して創作されたものであろう。ただし、その元になるような、明清時代に中国で作られた版本や写本が存在した可能性は、念頭に置く必要がある。仁阿弥は、この写本に描かれた二次元の図様を三次元の作品〔図11・表2No.3〕に起こしている。図示された43種類のうち、仁阿弥が制作した作例を現在15種類確認している〔表2〕。各急須の全体的な形態や、把手・蓋の摘みなどの特徴的な形状を、可能な限り忠実に模造しようとするだけでなく、成形時に布を当てた際の痕跡を図示したと思われる格子状の網目も、実際に目の粗い布を当てて再現するなど、まるで写本から飛び出してきたかのような、優れた造形性を見せる。さらに図に記された名称を、急須の胴部に陽刻あるいは陰刻している。現在確認できたこれらの急須は、そのほとんどが共箱に納められており、箱の蓋表や裏には、「足利家御茶堂/巽阿弥秘急須/四十三品之内」〔表2No.4〕(注13)や「四拾参品内」〔表2No.3〕などの墨書を伴うことから、仁阿弥がこの写本に類するものを実見して制作したことは間違いない。実は、陶工高橋道八家の事績を記録した「陶工高橋道八系統録」(注14、以下「系統録」と略す)という文献に、これらの急須に関する次の様な興味深い記述がある。(前略)越前靜江間鍋矦京都所司の時仁阿彌作四十三品の名甌を摹すへきの命あり、調進す。御意に叶ひたゑず御用あり。又二條城へ御召ありて御庭(焼)御覧に入る。復た京都御巡視の時拙家へ御入りあり休息製陶御覧ありたり。御染筆書画拝領す。(後略)記載事項を以下に箇条書きで整理した。

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