― 188 ―⑱ 堂本印象の画塾・東丘社に関する研究─近代京都における画塾の一側面─研 究 者:京都府立堂本印象美術館 主任学芸員 山 田 由希代はじめに近代京都の美術は、学校教育だけでなく画塾の組織によって支え展開されてきた。画塾が京都画壇に大きな影響を与え、重要な役割を果たしたことは注目に値する。近代以降の京都には、竹内栖鳳の竹杖会をはじめ多数の画塾が存在したが、画塾がこれまで美術史上で明確に位置づけされることはあまりなかった。近年、京都の画塾に関心が向けられているが、特に画塾についての詳細な研究は、奥村一郎氏と福田道宏氏による共著論文「中村大三郎画塾の研究」(注1)の他にはほとんど見当らない。その理由は、画塾が学校と異なり、私的で内部的な組織で成り立っていることにある。そのため、画塾の活動や記録などの資料類は未公開状態にあり、実態を知るには困難な状況にある。貴重な成果をあげた奥村・福田論文でさえ、中村大三郎画塾の記録資料を大三郎のご遺族から提供されたことに負うところが多大であった。本稿では、堂本印象の画塾東丘社をとりあげ、今まで注目されなかった画塾の実態を究明したい。東丘社は、昭和9年(1934)に堂本印象(1891-1975)によって創立され、京都で有数の規模と歴史をもち、日本画の研究団体として今なお存続し、京都画壇の発展に大きく貢献している。三輪晁勢、山本倉丘ら多数の塾生を輩出した東丘社について、特に実際的な日本画指導法だけでなく、当時の京都画壇との関係で画塾のあり方を具体的に検証することは、東丘社の存在意義を明らかにするという意味で意義深い。具体的な研究方法として、まず堂本印象について概観し、次いで東丘社発行の雑誌や展覧会の出品作品とカタログ、東丘社に関する記録物など残存資料を発掘し、印象存命中から今も東丘社に所属する日本画家への聞き取り調査、及び東丘社を基軸にして他の画塾の各々の指導方針を調査し比較検証して、近現代の美術史における堂本印象の画塾・東丘社の独自性とその展開、および京都画壇における画塾の役割を明らかにする道筋をとる。1 堂本印象について堂本印象は、明治24年(1891)、京都市上京区で酒造業を営む堂本伍兵衛と芳子の
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