― 190 ―2 東丘社についてこれまで、画塾の活動の実態について言及された研究はほとんどないが、京都には近代以降、特に昭和期には多くの画塾が存在していた(注5)。なかでも比較的大規模で、活動歴が長い画塾の一つが東丘社である。画塾の主な活動は塾展であるが、年に一度開催される東丘社展は今も継続されている。ここでは、京都府立堂本印象美術館及び塾員が保管する東丘社の関係資料を中心に展覧会記録や関連記事を加え、東丘社の具体的な活動を、①初期、②戦前、③戦後から現在までの三期に分けて確認したい(注6)。①初期(1933-40)東丘社は創立時から社誌〔図1〕を編集し、意欲的に活動した。初期の頃は印象の言葉や東西美術についてのエッセイ、美術展の動向などが掲載された情報誌の要素が強かったが、次第に東丘社内で開かれる展覧会の図録として編集されるようになる。一方、創立当時の実質的な様子は「堂本印象画塾 東丘社史記録」に記されている。本記録は、昭和8年(1933)から昭和17年(1942)までの活動が塾員によって記録された貴重な資料である。これには主に画塾内で開催した展覧会が年譜形式で記載されていて、東丘社の初期の様子だけではなく、この画塾の存在意義がよく表れている。以下、本記録に基づいて初期の東丘社の活動を見ていくこととする。まず、堂本印象画塾東丘社の社名が創立されたのは昭和8年(1933)1月であるが、第一回東丘社展が開催されたのは昭和13年(1938)6月であった。〔図2、3〕この約5年間、画塾はどのように存在していたのだろうか。その間、塾員は帝展への出品を目指して個別的に印象から指導を受けながら、各種展覧会を精力的に開催していたものと想像される。特に、初期には画塾内で様々な展覧会が催され、若い画家たちに少しでも多くの制作発表の場を設けようとする印象の意図が強く表れている。この時期に開催された展覧会は、如月会展〔図4、5〕、春風会展、若草会展、春耀会展、若葉会展、青春会展である。印象が塾員で組織した様々な展覧会が戦前まで活発に開催されている。これらの展覧会のうちで最も早期に開催されたのは、如月会展である。第1回如月会展は、東丘社創立の翌年2月に開催された。記録によれば、印象が選抜した塾員中の一部会員17名の各人が同一寸法で作品を発表する趣旨で京都大丸の会場で開催された。如月会展は昭和16年(1941)に第7回展を開催した後に終了した。塾員一同が大作発表の場とした東丘社展に対し、如月会展は軸物や小品中心で、互いに持ち寄って
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