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― 194 ―昭和37年(1962)入塾時、60名ほど(由里本氏)昭和41年(1966)入塾時、60名ほど(渡辺氏)昭和38年(1963)入塾時、12~3名(岡村氏)ⅲ)画塾での主な活動定期的に開催される研究会で、進行係がそれぞれ制作された作品について塾員に意見を聞き、師印象が最後に総括を述べる。印象の言葉は一番重みがあり、色やモチーフ、立体感の有無について指摘されるという指導方法であった。印象の方針で、研究会に美術史家の上野照夫氏を招いた講演会や、1962年には伏見の窯で七宝を制作したこともあった。(由里本氏)毎月開催される研究会に作品を持って行く。司会によって作品についての意見が促され、塾員が意見を述べる。最後は師華楊の評言でまとめられる。指導はモチーフなど詳細な部分に対してではなく、全体的な方向性が伝えられるものであった。研究会では、展覧会、日春展、晨鳥社展など出品画の相談も行われた。(渡辺氏)月に1回行われる研究会に作品を持参し、師遥邨を真ん中にして塾員で囲み、それぞれ合評会を行う。最初に作者の動機が口頭で発表され、その後意見を交わす。日展に出品する相談会や下見会も研究会で行われ、出品のためのスケッチ、小下絵を持参する。遥邨は参加した塾員が意見を言い終わった後、最後に批評してまとめた。その他、年に1回はスケッチ旅行が開催された。(岡村氏)ⅳ)画塾に入って良かったこと勉強や写生に取り組めたこと。仲間ができ、様々な人や物から吸収できる。(由里本氏)師の画家としての姿勢や様々な人の考え方が学べる。台湾故宮の旅行では、華楊が事前に頼んでいたことから、一般公開されていない牡丹の絵を塾員たちも見ることができた。(渡辺氏)制作に対して一生懸命に打ち込むことができた。研究会によって自らの作品を客観視することができる。(岡村氏)ⅴ)所属する画塾の特質印象の指導が強く、東丘社カラーともいえるように師の画風に近づく者もいた。画塾のなかでも封建的な雰囲気がある。(由里本氏)伸び伸びした自由な雰囲気で、これは若い画家たちの良いところを伸ばそうとする華楊の考え方に基づく。(渡辺氏)数ある画塾のなかでも一番自由な気風を有する。画塾の中でそれぞれ作風の系統が

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