― 195 ―異なり、多様である。(岡村氏)上述のように、戦後に入塾した画家たちの経験を通して、画塾が貴重な情報や刺激を受けることができる重要なコミュニティーとしての存在であったことが見えてくる。更に、それぞれの塾の指導者によって塾内の雰囲気が異なる面があったことも興味深い事実である。今回とりあげた聞き取り調査は3つの画塾に限っているが、指導者によって異なる教育方針の内容が明白になった。これら3つの画塾の在り方に見られるように、多様な教育方針によって育成された画家たちの表現がいくつも生み出されることで、京都画壇に多様性をもたらしたと考えられる。おわりに ─東丘社の独自性東丘社の塾員として関わった人数は、堂本印象以下、現在までの総勢は178名に及ぶ(注16)〔図7〕。東丘社展の開催は、平成5年(1993)に第50回展を以って一旦終わったが、平成23年(2011)に第51回展が再開されて以来、現在も継続されている。画塾の主な活動は、塾員による制作発表としての塾展が主軸である。印象は東丘社の塾展を大々的に開催して塾員に作品の制作、展示、販売という組織的運営を行わせ、資金集めだけでなく作家としての意識を高揚させる指導を実践した。印象が塾展で塾員に多数の作品を共同制作させて作家としての視野拡大と個性の練磨に向かわせ、「没我協力と正しい美の創造の理念」を実践させたため、東丘社は他のどの画塾よりも独自性の強い存在となった。東丘社が大規模で永続する画塾として京都画壇ひいては日本画壇で確固たる位置を占めていることは確かな事実である。無論、それは印象の芸術理念と実践に基づいていると見なされるべきである。注⑴奥村一郎・福田道宏氏「中村大三郎画塾の研究」(『美術フォーラム21』第16号、醍醐書房、2007年)。⑵内山武夫「三輪晁勢の歩み」(『華麗なる色彩の世界』読売新聞社、1981年)。⑶注⑵と同じ。東丘社の創立については三輪晁勢の長男晃久氏にも情報提供を得た。⑷国民美術研究所編『西山画塾青甲社』(美術春秋社、1943年)、『京都府立堂本印象美術館蔵品目録』(京都府立堂本印象美術館編集、1997年)の出品歴による。⑸近代以降の京都の主な画塾は、竹内栖鳳の竹杖会、山元春挙の早苗会、西村五雲の晨鳥社、西山翠嶂の青甲社、堂本印象の東丘社、ほかにも菊池契月塾、中村大三郎画塾など数多く存在した。⑹奈良県立万葉文化館で開催された展覧会「堂本印象と東丘社のあゆみ」(2011年)にあたり、宮崎隆旨氏、西田彩乃氏、藤井麻里氏、福田道宏氏、賀屋優子氏、小木曽愛美氏によって京都
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