― 202 ―様式特有の赤・青・金を主要色とする重厚な色彩は、曲線と淡彩が多用されるロココ装飾で統一された空間においてはまさに異物であり、装飾原語を共有しない異国の伊万里焼は隔絶し不協和音を轟かせる。しかし、オルモルを付ければいかがであろう。ゆるやかな流線形を描くロココのオルモルによって伊万里焼の孤立は解消され、周囲の文様と連動し始めるであろう。18世紀後半におけるパリの金工デザインといえば、まず筆頭に挙がるのは宮廷ブロンズ細工師ジャン=クロード・トマス・シャンベラン・ドゥプレシ(Jean-Claude-Thomas Chambellan Duplessis, 1730-1783)である。ドゥプレシは金工と陶磁を手がけ均整のとれた斬新なフォルムを次々と生み出した。ドゥプレシが景徳鎮磁器のために考案した新古典主義様式のオルモル装飾(注5)〔図3〕も知られている。しかし、このように作者を特定できるのは例外的であり、多くのマウントは無名の工人による工芸の従属物にすぎない。にもかかわらず、フランスではマウント付き伊万里焼は単体の磁器よりも高値で取引され、後述するようにフランス宮廷の外交上の贈物とされるほど高い価値を有していく。このような価値の形成は、マルシャン・メルシエles marchand merciers(注6)やファイアンシエles faïenciersという商人達の功績に負うところが大きい。すべてのマウント製作は商人達の注文に基づき、そのデザインも基本的には商人たちの手にゆだねられた。つまり、商人たちが外部の金工職人に注文し、アートディレクターのようにマウント製作をプロデュースしていたのである(注7)。2.パリのマルシャン・メルシエフランスでは1659年以降、前述のファイアンシエ組合とマルシャン・メルシエ組合のメンバーだけが陶磁器商売に従事する権利を与えられていた。そこでは新旧様々な品が扱われ、陶磁器は洋の東西を問わず集められる。日本や中国製品を専門とする店もあった(注8)。ただし、扱うマウントのタイプは所属する組合により異なる。ファイアンシエ組合が磁器にマウントを付ける許可を持つ一方で、磁器と複数の素材を組み合わせマウントを付けたより高度で総合的なオブジェをつくる許可を与えられたのはマルシャン・メルシエ組合のほうであった。マルシャン・メルシエたちは、パリにあった六つの職業組合における第三の組合に属していた。彼らの店はメギッスリー通り、サン=ドニ通り、オーブリー=ル=ブーシェー通り、サン=トノレ通りといった、高級美術商が集まるパリのレアール地区に軒を連ねていた(注9)。マルシャン・メルシエは、最も多勢で幅広い商品を扱う商
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