― 214 ―やその他の貴重な情報の提供先まで含めると、下記の多くの機関からご協力をいただいた(五十音順、敬称略)。御菓子所亀末廣、株式会社鍵善良房、株式会社亀屋清永、株式会社笹屋伊織、株式会社三條若狭屋、株式会社鶴屋吉信、株式会社本家菊屋、株式会社森八、株式会社山星屋、株式会社落雁諸江屋、株式会社両口屋是清、亀屋陸奥、亀屋良長株式会社、合資会社塩瀬総本家、藤屋内匠、有限会社千代の舎竹村2 既往研究和菓子に関する論考は多いが、その中で特に木型に関係する研究となると、少し異なってくる。木型は戦前から民芸の研究者の間で注目されていたが、近年は木型職人が減少の一途をたどる中、現存の技術体系を記録保存する目的で調査がさかんになりつつあり、木型についても資料の報告がみられるようになり、展覧会も開催されている。しかし、職人の道具として絶えず更新され、作り替えられる木型の性質にもよってか、いずれも現代という時点に立脚した論述が多く、木型の歴史的把握が関心の中心を占める場合は少ないようで、近世に遡る時間軸の中で体系的な把握を試みた研究は、金唐革の作家・研究者・美術家としても広く知られる徳力彦之助の業績(注4、徳力1966、1975)を超えるものが、まだ管見には見当たらない。徳力は、京都の不明門通り五条にあった菓子店、大黒屋に伝来した多数の木型を見いだし、これに他の所蔵先の資料も参照して、江戸時代の明和年間から幕末までの年代観(「明和・天明期」、「寛政初期」「寛政~文化」「文政~安政」の4つの時期区分)を組み立て、木型にも社会の変化を映し出して変遷があったことを論じた。徳力の業績を発展させて、近世における木型の移り変わりを跡づけようとした研究に、河野實の論考(河野1979)がある。それによると、「羽子板状木型」、把手がついた型、打出しの平面形状から時期区分を試み、あわせて把手の形状の詳細な細分類も行っている。しかし“形状”は図柄や菓子職人の個性(職人の“使い易さ”)に影響されるものであり、年代の特定にはこれだけでは不十分であることにも言及している。木型の形状には、制作した職人の個性だけでなく、金沢や京都といった生産地の特徴(地域性)も反映している。紀年銘のある菓子木型は現存例が少ないので、これまでの研究が形状の比較に大きく依存してきた点はやむをえないと考えられるが、それによって構築される年代観には一定の限界があり、あらためて紀年銘のある実例を確実に把握し、リスト化していく努力を続ける必要があるとともに、形状比較にしばしば依存して達成される年代観も、それぞれ重要な達成ではあるが、あくまでも一つの
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