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― 215 ―作業仮説として相対化する必要があるのではなかろうか。そこで本調査では、近世菓子木型の年代観の既往研究による枠組みを再検討し、相対化するために、墨書等による紀年銘がある作例について着目し、リスト化を試みたが、その結果は表を参照されたい(注5)。木型は高価な道具であり、一度誂えれば非常に長い期間使用できるものである。菓子店にとっては財産とも言えるもので、菓子店によって新調した年月日、購入先、型が特別な注文主による場合はその説明などが記入されることがある。また菓子職人によって菓銘や材料の覚えなどが記入されることがあるし、制作した木型職人が自身の名前や制作年を記入することもある。これらの情報は、近世であれば墨書、彫刻、漆、焼印、刻印などで記されている。本調査では、約800点の資料を拝見できたが、このうち近世の特徴を持つと思われた木型は約250点であった。この表に記載した紀年銘が確認できた資料は30点で、本調査の対象とした近世の菓子木型の約12パーセントにすぎない。菓子店にとって特別な型にはこうした情報が記載されることが多いが、主要な商品を製造するような使用頻度の高い木型、一般的な木型にはこうした銘が記載されない、もしくは頻繁な使用や後の修理によって判読できない場合が多い。その点は今後研究していく中では注意が必要であろう。この表には、今回の調査で確認できた木型から、年号を含む墨書銘のあるものの計測値と銘文をまとめたが、「絵手本」の記載から制作時期が推定できるものも含めている。なお、計測値はmm、容量をcc単位で記している。また、計測不能であった数値は空欄にしている。3 木型の創始時期近世菓子木型について論ずるときに問題となるのは、木型の創始をどの時代に置くかである。しかしこれについては、近世に木型で作られる菓子が落雁、白雪糕、金華糖、干菓子など(注6)多岐にわたる中で、需要も多く、おもにそのために木型が作られたとみられる落雁の発達を、木型のそれと切り離しては考えられない。「らくがん」という語の文献上の初出は、寛永12年(1635年)9月15日の虎屋文書「院御所様行幸之菓子通」における「らくがん十二斤」で、最初の茶会記録も寛永15年(1638年)とされ、この菓子が一般に成立した時期としては寛永ごろであろうと尾久彰三(尾久1979a:14)は指摘している。一般に落雁に使用される道明寺粉は糯米を原料とする糒を粉にしたもので、戦国時代には兵糧食として用いられていたから、

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