― 216 ―落雁の成立を世情が落ちついた寛永期頃にみる説には首肯できるところがある。『類聚名物考』には「らくがん」(落鴈)として、「今らくがんといふ菓子有り もと近江八景の平沙の落鴈より出し那なり 白き砕米に黒胡麻を村々とかき入たり そのさま鴈に似たれバなり 形ハ昔ハ洲濱のさまなりしが今ハ種々の形出来たり」とあり、徳力は「種々の形が出来た」という記述とこの著述の年代を関係づけて、木型の成立時期を明和─天明初期に措定している(徳力1967:44-55)。しかし、紀年銘のある菓子木型のなかで知られている最古の事例は、株式会社虎屋所蔵の宝永6年(1709)の割型で(注7)、図版(虎屋文庫1996)でみたかぎり八つ橋の意匠(杜若と橋)が精緻に彫刻されている。下司はないが、台に対して彫刻部分の木取りを斜めにとっていることや、部品を組み合わせる際の見当の印(合印と呼ばれる)が鋸で直線的に入れられていることも、近世の割型によく見られる特徴である。現存する資料の中では非常に古い時期のものなのに、既に完成した形態であり、寛政から天保にかけての時期に多く制作された徳川治宝の好みとされる木型と比べて遜色がない。尾久彰三(尾久1979a:15)は、この宝永6年銘の菓子木型が既に発達した完成形であることを指摘しており、ゆえに菓子木型の成立は文献に落雁が登場する寛永期に近いころではないかとしている。また、『合類日用料理抄』〔元禄2年(1689)〕には、落雁の「菊 扇 草花 生類いろいろを彫りこみたる木の型」とあるので、木型の成立も明和よりは遡るのであろう。今回調査した中で、古相と思われる一群が表のNo.1~4にあたる4点であり、徳力の分類では明和ごろの型(徳力1967、徳力1975)とされるものに該当する。徳力は「どこの菓子店にも一つか二つはあるもの」と記しているが、今回の調査では4点しか確認できなかった。これによってつくられる菓子は非常に薄く、方形や円といった単純な形である。木型の彫刻の線は鋭く、木型自体も華奢で軽いものが多い。しかしいずれにも墨書銘は確認できず、絶対年代を特定することはできなかった。なお、No.3については、上部の隅切がなく(注8)、図柄も烏帽子であり、年代が下る可能性がある。4 寛政期の型表にあげた木型のうち、木型の図柄と、製造される菓子の用途を考えると、いくつかに分類できる。鶴、亀、日之出などの吉祥文の木型があげられる。今回の調査では残念ながらこれら吉祥文の型に紀年銘を多く確認することは出来なかったが、これはそのままこれらの図柄の型の使用頻度が高いことを示しているといえよう。寛政ごろ
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