― 217 ―の古い型には、雄壮な大きさの日之出鶴や亀がある。No.7は「寛政八年 坂仁片(カ)辰二月吉日 近五佐」と銘が入る。No.8、No.9は作者は違うものの、No.7と同時期とされるものである。こうした吉祥文は広く好まれ、菓子木型の一般的な図柄として近代まで引き継がれていく。寛政期にはすでに意匠が出そろっていることがわかるが、まだ近代のもののように定型化してはいない。No.5、No.6、No.10は、大黒屋由来の型である。全体の大きさが50~60cm×30cmに達する大きなもので、三番叟、石橋、金平など、芝居に関連する題材を彫った型であることが共通する。これによってつくられる菓子の大きさも30cm×20cm前後と、見た目には雄壮な印象を与える型だが、菓子の厚さは最も厚い部分でも1cm強しかなく、大きさに比して非常に薄い。輪郭線は明瞭で、迷いのない感じを与える彫り方であり、型の周縁部に厚みが残されているが、これは徳力の指摘のとおり補強もかねているのだろう。墨書銘のうち、「大八」は所蔵していた菓子店の名称「大黒屋八郎兵衛」であり、「坂仁」「近五」は、No.7の日之出の木型と同じ作者と考えられる。No.10には「寛政八年 辰丙 吉日 近五佐 六十五才(カ)」とあり、誇らしげに年齢も記される。徳力はこれらの型や、No.8のような日之出鶴の型、鯛の型については疱瘡絵と同じく、真っ赤な紅粉を上にかけた赤い落雁で、疱瘡見舞用のものであったとしている(徳力1967:53、徳力1975:51)。文様としてのまとまりを見せる吉祥文のものよりも、描写的要素は強く、ダイナミックな印象を与える。意匠が与える感じばかりか、つくられる菓子の容積も、吉祥文のものでは300cc前後であるのに対し、芝居絵のものは400cc~500ccもある。5 文化・文政期以降の木型今回の調査では、京都市内で文政期の銘を持つ木型が多く見つかった。No.13、No.14、No.17の菓子の大きさは、大体10センチ角内外で、厚みは2.5~2.8cmほど。寛政期の型のように人目を引く大きさでないが、現在の菓子に近い厚みがある。また、No.14の鉄線を流水紋で囲んだ木型とNo.33の蓬莱の木型はどちらも「片山永義」なる木型職人が作ったことが書かれている。No.17とNo.35は、現代では木型の主流となっている二枚型であり、形状も現代のものとほぼ同じである。二枚型としては古いものである。較べてNo.12の鯛、No.18の蒲公英などはおおらかな風情の打ち出しである。No.36の雪輪に梅樹、菊型の御所落雁なども徳力によると寛政ごろからの古典的な図柄であり、安政ごろまで存続するとされている。菓子の直径はどちらも10cm位だが、厚み
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