― 219 ―である。水仙、撫子、朝顔、菊、桜といった四季の花々が寄せ集められた意匠である。この菓子も「絵手本」に記載があり、「錦花糕 砂とう みちん粉 紅 よせからしくちなし 藍 小豆しふ」「右者天保六未年 尾州様ゟ被進候筋、此度御仕立被仰出、御形等御出来之事」とあり、尾張徳川家から紀州徳川家へ天保6年(1835)にこの菓子が贈られたこと、このたびその型を作るよう申し付けられて出来上がってきたことがわかる。絵手本には真紅の地の上に白から桃色へ色づく桜、淡黄色の花弁と薄緑の花芯を持つ八重菊、ピンクの撫子、濃紺の朝顔、黄色い花芯の白水仙、そしてそれらの植物の様々な色合いの緑の葉が描かれている。この「錦花糕」は、型から推測すると、出来あがりがおよそ34cm×42cm×1.5cmという非常に大きなものになる。No.16の海老の型は、型の裏面に「文政十三年庚寅十二月 八拾貳番 桔梗屋又兵衛」とあり、上記のどの型よりも古い時期のものであるが、株式会社山星屋のコレクションとして収集されたものである。「桔梗屋」とあることから、紀州の駿河屋とも尾張の両口屋とも関係のない型だが、この型とほぼ同じ意匠の型は駿河屋にも伝わって現存し、絵手本にも記載がある。絵手本には「尾洲様より御出来 天保七申五月初而被 仰付候 老の寿」「砂糖 微塵粉紅 黒豆」とある。『名古屋市史 風俗編』に明治4年(1871)の菓子商を参考としてあげているが、この中に江戸時代、両口屋とともに御用菓子商をつとめた「桔梗屋又兵衛」があげられている。型の由来からすると、この尾張藩御用を勤めた桔梗屋のものであった可能性がある。以上の型と絵手本からは、尾張徳川家で考案した型を紀州徳川家でも作らせていたこと、またその逆のケースもあり、そのことをきちんと菓子店側で記録し、伝えていることがわかる。また、菓子を通じた大名家どうしの交流がわかる例である。7 まとめ今回の調査では、多数の木型のうち、特に紀年銘を持つ型について分析を行った。紀年銘を持つ型は菓子店にとって特別な型であることも多いので、木型全体に関する考察には不十分といえる。近世の木型に表現された彫刻にはその時代の美意識が表出しているが、その意匠はその菓子を賞味する人が属する時代、地域、社会によって、生成される意識の違いが反映されるはずである。そのわかりやすい一例としては大名間の贈答に使用された木型が挙げられるが、浮世絵を好み、琳派を支持した近世の町人の好みなども木型の意匠にあらわれるはずである。年代を特定できる木型の特徴と、その他の木型を比較分析することにより、近世の木型に映された美意識の移ろいについて考察することを今後の課題としたい。
元のページ ../index.html#229