― 227 ―ことが首都コンスタンティノポリスで制作された象牙浮彫(注2)〔図1〕やカッパドキアのトカル・キリセ新聖堂の作例(注3)で確認できる。以降今日に至るまで、大きく変化を生んでいないのが本図であり、先行研究でも構図については一種アプリオリなものとして特段の注意が払われていないようである。そのような中マグワイアは聖堂西壁、扉口上部という聖堂での定位置が固定化されて以後の「眠り」の構図について、向かい合う聖母子像との関連を指摘した(注4)。これは「眠り」が聖堂装飾プログラム中で重要な位置にあることを明白にした点で意義深い。しかしマグワイアの論は聖堂装飾において「十二大祭サイクル」が確立し、聖堂に「聖母の眠り」が描かれることが一般化した12世紀以降をその射程とする。それ以前は現存作例が少ないこともあり考察は容易でないが、例外とも言える地域がトルコ、カッパドキアである。現存作で最も古い時代に当たる9世紀の壁画をはじめ、複数の図像が比較的狭い範囲に残されている。一方でカッパドキア研究の現状として、岩石砂漠に未確認の小聖堂が多数残り、研究者の言及は大型、または優作と言われる壁画を持つ聖堂に限られている。図像も図版として入手できるものは未だ少ない。従って、カッパドキアの「聖母の眠り」を体系的に考察する先行研究も不足していると言わざるを得ないのである。本論ではまずフィールドワークで得られた作例を確認し、次にカッパドキアにおける「聖母の眠り」の特質を問いたい。図像の概観ウフララ渓谷、ユランル・キリセは様式的に9世紀後半から10世紀前半の作例とされ、現存する「聖母の眠り」の聖堂装飾としては最古のものと言ってよい(注5)〔図2〕。図像の特徴として、他作例で採られるマリアとキリストを他の人物が囲む構図ではなく、画面いっぱいに引き伸ばされたマリアのベッドの背後に人物が横一列に並ぶ構図を採る点が挙げられる。この特殊な構図は、成立年代から考えて「定型」が成立する以前の様相を示すものと見ることも可能であろう。マリアを囲みその死を悼んでいるように見える「定型」と比較し、ユランル・キリセの作例はマリアの死に使徒が立ち会ったという事実を説明的に示すだけに見え、説話性が希薄である。横長の画面は同聖堂内でも比較的大きな壁面を与えられており、重要な場面として認識されていた可能性がある。また本図で興味深いのが、ベッドの手前に「ユダヤ人イェフォニアス」が描かれる点である。エプスタインによれば「眠り」図に描かれるユダヤ人モティーフとして最古のものであるという(注6)。伝承によれば、マリアの葬列を襲撃したユダヤ人イェフォニアスは、ベッドに掛けた手が萎え、あるいは斬り落とされ
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