― 228 ―たという(注7)。イェフォニアスモティーフはこのユランル・キリセの作例からおよそ2世紀作例が絶えるなど、中期の「聖母の眠り」には珍しいモティーフであり、特に目立つようになるのはポスト期に入ってからとなる。ユランル・キリセに次いで古い作例がギュル・デレに在るアイヴァル・キリセの「眠り」である〔図3〕。本作は913年から20年の間という制作年が確定しているビザンティン美術でも珍しい基準作である(注8)。画面左右に使徒を分割して配する構図は、後の定型に近づいたものと言える。一方マリアのベッドは画面右が高く斜めに描かれるなど、定型との差異も確認できる。遠近法的理解に基づいているとは言えないが、画面に奥行きを出そうとする意図があったのではないか。マリアの身体の周囲には小さな花模様が描かれ、亡骸に花を供えた様子を描いているようである。この印象的なモティーフは他作には見られない。次に、ギョレメ地区トカル・キリセ新聖堂(10世紀後半)(注9)を取り上げる。カッパドキアの聖堂壁画はローカルな画家が描いたものがその殆どを占めるが、本聖堂は首都コンスタンティノポリスから画家を招聘し壁画を描かせた特殊な聖堂である。「眠り」は聖堂内陣、アプシス手前の左側壁面に描かれている(注10)。聖堂西壁の扉口上部という定位置に配されないのは他のカッパドキア作例と同様であるが、新聖堂における配置は「眠り」に聖堂装飾中でも重要な位置を与えていることは指摘できよう。先に述べたように、本図では10世紀の象牙浮彫と同じく、定型に則った構図を採用する。10世紀の首都では既に定型が確立していたことが窺える。画面上部には雲に乗った使徒が描かれる。マリアの許に集まる使徒を描いたこのモティーフの例としては古いものである。管見の限りカッパドキアには本モティーフを描く「眠り」は他にない。比較的古い現存例としてはマケドニア、オフリドの聖ソフィア聖堂(11世紀半ば)(注11)が挙げられよう〔図4〕。ただし本モティーフを描くためには画面上方に余裕のある壁面を与えられる必要があり、カッパドキアの岩窟聖堂でその壁面を得るのは容易でなかったことは考慮しなければならない。同じくギョレメのサクル・キリセは、恐らく1071年のマンツィケルトの戦い以前に描かれたものである〔図5〕。出入口の左脇に描かれることから、後の扉口上部という定位置とほぼ同じ意味を持つ位置といってよいだろう。図像は剝落が激しいものの、中央にマリアとキリスト、左右に使徒の配置は定型通りである。11世紀後半には定型がカッパドキアにおいても普及していたと見なせるだろう。ギョレメ地区には更に、いわゆる2番聖堂に「眠り」が描かれていることが今回のフィールドワークで確認できた(注12)。その殆どは剝落しているが、銘文から「聖
元のページ ../index.html#238