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― 229 ―母の眠り」であることが分かる〔図6〕。聖堂内の他図像から11世紀後半の作と判断する。アーチ・アルトゥ・キリセシの作例は剥落が激しく〔図7〕、また成立年代にも議論があるため本論では多く取り上げない。成立年代を早く設定するのであれば、ユランル・キリセなどと同様により古い形の「眠り」を考察する素材となりえるだろう(注13)。セリメ地区メリェマナ・キリセの成立年代は残存する壁画が少ないため判断が難しいが、おそらく11世紀の作ではないか〔図8〕。キリストはやや中央から左にずれるものの、使徒の配置などおおむね定型に従った構図である。顔貌は悉く削り取られているが、落書きが少ないため近年は人の出入りが殆どなかったようである。本聖堂の南壁に大きく描かれていることから、装飾プログラム中大きな位置を占めていたことが予想されるが、他の説話図像は一切残存していないため詳細は不明である。ギュルシェヒル近郊カルシュ・キリセは1212年の年記が残る(注14)〔図9〕。やや稚拙なタッチで描かれた「眠り」は、上下に窮屈な画面であるが定型に則った構図を持つ。ウフララ渓谷クルク・ダム・アルトゥ・キリセシは13世紀末の作例である(注15)〔図10〕。落書きによる汚損が著しいが、定型に則った描き方をされていることが見てとれる。またマリアのベッド手前には手を斬り落とされるユダヤ人イェフォニアスが描かれる。また今回崩落の危険があるとのことで内部を実見することは叶わなかったが、ギョレメ地区メリェマナ・キリセ(11世紀)にも「聖母の眠り」が描かれる。剝落が激しいが、これも定型に則ったものであることが分かっている。以上筆者がカッパドキアで確認した「聖母の眠り」の概略を述べた。14年夏のフィールドワークでは100を超える聖堂を調査したが、「眠り」を描く聖堂はその一割に満たない。聖堂の保存状態の問題もあり、元々描かれていなかったのか、失われてしまったのかを断言することは必ずしも容易でないが、他地域に遺る中期から後期のビザンティン聖堂と比較するとやはり描かれている例は少ないとして良いと思われる。本節で見た作例を基に次節ではカッパドキアにおける「眠り」の特質について幾つかの点を指摘する。カッパドキアにおける「聖母の眠り」図像の特質聖書の説話を時系列に従い、絵巻物のように連続的に描く聖堂装飾の手法は古くか

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